三重県

笠木館(笠木御所)の解説~館と言うよりは笠木城と言って良い巨大な館跡

笠木館

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笠木館

笠木館 (かさぎやかた)は三重県多気郡多気町笠木にある平山城で別名は笠木御所とも言う。
標高44m、比高30mほどであるが大小40くらいの郭(曲輪)があり、井戸跡も20以上あるというので規模的には笠木城と呼んでも良い感じがする。
古くは「笠服」とも書き、神宮領として「笠服御薗」の名もあるようだ。

笠木館

最初の築城は不明だが、室町時代の寛正年間(1460年〜1466年)頃には坂内氏の居館だったと言う。
坂内氏としては北畠氏一族の坂内具能(ともよし)が知行したともある。
また、文明15年(1483年)には、北畠政勝の弟・坂内房郷の名も見受けられる。

信長公記によると、1569年、織田信雄(織田信長の3男)を養子に迎えて和睦した北畠具教・北畠具房の父子は伊勢・大河内城を出て「笠木坂内」へ退いたとあり、これが笠木館だったと考えられる。

天正4年(1576年)、伊勢・三瀬館にて隠居していた北畠具教が、織田信長の指示で誅殺された。
ひの時、田丸城に集められていた笠木館主・坂内具義(坂内兵庫頭具義)、大河内教通、波瀬具祐、岩内光安、北畠親成らは日置大膳亮などによって殺害された。
北畠具教の娘が産んでいた遺児・北畠亀寿(亀千代)は大叔父の北畠具親を頼って落ち延びている。


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笠木御所の家臣としては伊勢・茂原城の吉田兼房(よしだかねふさ)がいる。
田丸城にて拘禁されていた鶴女(北畠具房の正室)を、北畠家の鳥屋尾満栄(鳥屋尾石見守満栄)と井上専正(井上味兵衛専正)が救出。
鶴女は吉田兼房に保護されて北畠昌教を出産すると、大和国・飯貝門跡(北畠具教の娘の嫁ぎ先)まで逃したとある。
のち北畠昌教は石山本願寺本願寺顕如を頼り、津軽為信の客分になった。

交通アクセス

JR参宮線の外城田駅から登城口まで徒歩約25分。
駐車場はない模様なので、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」では「登城口」をポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
アプローチの道路は何箇所か曲がるのでスマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定するのをお勧めしたい。(徒歩ナビとしても可能)

もちろん、伊勢・田丸城とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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