三重県

紀伊・中村山城の歴史解説~仲新八郎(仲新之丞)の居城

紀伊・中村山城

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紀伊・中村山城

紀伊・中村山城は三重県尾鷲市中村町にある平山城で標高約50m、比高約40m、別名は中村山砦、中村山とも言う。
最初の築城は不明だが、戦国時代に仲新八郎(仲新之丞)が築いたともされる。

仲新八郎は尾鷲神社の宮座だったとも、伊勢国司・北畠政郷や北畠材やの一族とも、甲斐・武田氏の浪人の子孫ともあるが、諸説あり出自はよくわかっていない。
天文年間(1532年~1555年)に、仲新之丞は伊勢国司北畠氏の知遇を得て館城を構えたともある。
いずれにせよ、江戸時代、宝永4年(1707年)の宝永地震と、安政元年(1854年)の安政南海地震による津波などで記録や古文書などが流出しており不詳と言える。


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1582年、堀内新宮城堀内氏善が尾鷲に侵攻しており、紀伊・中村山城で仲新八郎や、世古氏・北村氏・荘司氏・田所別当氏・林氏の6人衆も山ノ神砦、関山砦に籠って抵抗したが討死を多数だし和睦したとある。
恐らく、仲新八郎は熊野・堀内氏に臣従したものと考えられる。
天狗別当と称された仲新八郎は討死し、父・仲新十郎氏は自刃したともある。
ただし、8歳だった仲富士太郎(仲藤太郎)は世古十郎氏と天満浦の新六氏の手助けで生き延びたともされ、のち仲新八郎善光と称した言い、このように諸説ある。

そして仲氏館の仲新八郎?は文禄年間(1592年~1595年)に菩提寺として常聲寺を建立したともある。
恐らく港に近いほうに仲氏館があり、紀伊・中村山城は詰めの城と言う事だったのだろう。


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現在でも尾鷲神社の祭礼儀式では、ご子孫が重要な役割を勤めておられるとの情報もある。

交通アクセス

JR東海・紀勢本線の尾鷲駅より徒歩約10分。
尾鷲市立図書館(尾鷲市立中央公民館)の駐車場が利用でき、二の丸跡には天文科学館が建てられている。
駐車場の入口はオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
道路からちょっとした坂を上ったうえに駐車場がある。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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