緒川城
緒川城(おがわじょう)は、現在の愛知県知多郡東浦町緒川にある平山城で、別名は高薮城、小川古城、緒川古城、緒川新城とも言う。
最初の築城は不明だが、鎌倉時代に小川重房が築いた小川屋敷が始まりともされる。
この尾張・小川氏(小河氏)は、尊卑文脈によると平清盛に追われ各地に散った源氏一族のうち清和源氏・源満政の後裔である浦野重遠の子・小川三郎が小川重房を称したと言うことで尾張源氏となる。
小川重房の子・小川重清は源頼朝に仕えると春日井郡山田庄水野村(瀬戸市)に移って、山田氏・水野氏となった。
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南北朝時代の1360年に美濃守護・土岐直氏が小河正房を攻撃して滅亡し、生き残った子孫は水野郷(尾張国春日井群山田荘)などに流浪した。
それから100年が経過し応仁の乱(1467年~)になると、小川姓を水野姓に改めた末裔である水野貞守が文明7年(1475年)に緒川古城を築いた。
水野家菩提寺の乾坤院も1475年に創建されている。
更に水野貞守は対岸の三河国にも進出して1476年に刈谷古城も築いた。
ただし、土岐氏に滅ぼされたあとの水野家系図に関して不明なところもあり、水野貞守のあとも改ざんされた可能性も指摘されているようだ。
その後の緒川城主としては水野賢正、水野清忠、水野忠政、水野信元と続いたとあるが系図的な詳細は不明。
水野氏は緒川城を本拠として勢力を伸ばして行ったのは間違いないだろう。
緒川城は城下町と一帯化した平山城であり東側は急ながけになっていた。
隣接する西側に於大公園があるが公園は城址ではないようだ。
緒川城跡(本丸)としては山上にあるが、現在は住宅街となっており道路も狭くクルマの駐車は困難である。
1528年、水野忠政の娘・於大の方は緒川城(緒川古城)にて誕生したとされる。
1533年、水野忠政は刈谷に新城「刈谷城」を築いて居城した。
このとき緒川城には嫡子・水野信元を置いたともされるが一時的な事だった可能性もある。
1541年、於大は三河・岡崎城主の松平広忠へ嫁いだ。
1543年7月12日、水野忠政が死去し乾坤院にて葬儀が行われた。
1544年8月、水野信元は織田信秀と同盟。
そのため、於大の方は岡崎から離縁され、のちに坂部城の久松俊勝と再婚している。
1554年、水野信元と織田信長は今川勢の村木砦を陥落させた。
1558年、水野信元と松平元康が石ケ瀬の戦い。
1560年、桶狭間の戦いで、水野信元は大高城の松平元康に今川義元が討死したことを伝えて戻っている。
1561年頃、水野信元が仲介して、織田信長と松平元康が清洲城で会談し清洲同盟を結んだ
1563年、水野信元は三河一向一揆に対応。
1574年3月、足利義昭から信長討伐を命ずる文書を受けた。
1576年、水野信元は武田勝頼に内通したと佐久間信盛が織田信長に報告。
そのため、謀反の疑いで徳川家康により岡崎・大樹寺にて謀殺された。
これにより緒川古城は廃城となり佐久間信盛の所領となっている。
佐久間信盛が織田家から追放されると1580年、織田信長は亡き水野信元の弟・水野忠守に旧領を与え、このとき新しく築いたのが緒川新城(緒川城)とされる。
では、どこが緒川古城で、どこが緒川新城だったのか?疑問に感じた。
よくわく調べ見ると最後の城主である水野分長が1601年に尾張・緒川藩1万石となった際には、高薮城(たかやぶ-じょう)が居城とされるためそこを「緒川新城」として分類するらしい。
そして小川貞守が築城したとする主郭と周囲の曲輪部分「緒川古城」と称するようなので、
いずれも推定地となるが、その図を拝見する限り、緒川古城も緒川新城も隣の郭であり小生が見る限り一体化しているとしか思えない。
しかし、緒川新城と言う呼び名があると言う事は、水野分長のとき古城部分は使用しなかったのかも知れないと感じる。
1606年、水野家の新城藩移封に伴い、慶長7年(1606年)に廃城。
緒川古城の主郭は小さな児童公園として整備されており北側に土塁の一部が残っている。
その公園内に緒川城址石標と城趾全体の縄張り図などがある案内板があった。
なお、この場所は日本武尊が東征した際に、走水で入水した弟橘姫の父・穂積忍山宿禰の古墳跡との伝承もあると言う。
高薮城(緒川新城)の部分は完全に住宅地となっており面影はない。
緒川新城が廃城となった際の城門が、水野氏菩提寺・乾坤院の総門として移築現存している。
また於大公園の中には緒川城主水野家三代の墓所があるようだ。
交通アクセス
緒川城への行き方だが、JR東海武豊線の緒川駅から徒歩15分。
駐車場は無いので、クルマの場合は東浦町役場の駐車場を利用可能とのこと。
当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」では、緒川古城児童公園入口をポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)
緒川城の御城印は、東浦町勤労福祉会館と東浦町郷土資料館(うのはな館)の両方にて販売している模様。
もちろん、刈谷城とセットでどうぞ。
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