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上総・平蔵城のちょこっと解説~大喜多街道の抑えである土橋平蔵の本拠

上総・平蔵城

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上総・平蔵城

上総・平蔵城(へいぞうじょう)は、千葉県市原市平蔵にある山城

最初の築城としては、古くは平将門が反乱を起こした承平年間(931年~938年)に土橋政常(土橋平蔵政常)が紀伊国から移住して城館を構えたとある。

紀伊の土橋氏と言うと、村上源氏顕房流の土橋氏がおり、和歌山の土橋重隆や、土橋平次屋敷などが知られる。
戦国時代にその紀伊・粟村城の土橋平次(土橋守重)は、鈴木孫一(鈴木重秀)と共に雑賀衆を主導しており、古い時代に分家したのが上総の土橋氏とも考えられるかも?
紀伊の土橋氏は「平次」に対して、平蔵城の土橋氏は代々「平蔵」を名乗ったようだ。


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平蔵城は上総牛久から大喜多を結ぶ大喜多街道の抑えと言える。

戦国時代初期には、1495年に土橋将経(土橋平蔵将経)が西願寺・阿弥陀堂を寄進したとあり、現在、国の重要文化財に指定されている。

西願寺・阿弥陀堂

とても立派な茅葺の建物が500年以上現存している訳だが、土橋将経(土橋政常)が平蔵城の鬼門を守護するため建立したと伝わる。

尾根伝いには、北側に城部田城、南側に根古谷城があり、3城で大喜多街道を見下ろしている。

上総・平蔵城

その上総・根古屋城は、上杉禅秀の乱の頃となる1418年4月に、上杉禅秀の残党・榛谷重氏(榛谷小太郎重氏)が籠城し、上総之本一揆の拠点にもなったようだ。(諸説あり)
これに対し、鎌倉公方・足利持氏は一色左近将監、鹿島出羽守、烟田遠江守らを派遣して鎮圧した。

その後、平蔵城では、土橋守秀、土橋忠吉(土橋平蔵忠吉)の名が見られる。

交通アクセス

平蔵城への行き方・交通アクセスとしては、京成電鉄・干葉駅やJR千葉駅前、または上総牛久駅前の街道にあるバス停から「大多喜行き」の小湊バスに乗車して、平蔵の阿弥陀畑バス停下車となる。

駐車場は阿弥陀堂の駐車場を利用できる。
場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
お気をつけて訪問して頂きたい。

そのあとは大多喜城を再訪致しました。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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