備後・岡島城は、 広島県尾道市向島町富浜 (向島) にある、標高26.4mの平山城・海城で、別名は歌島城とも言うようです。
最初の築城は不明ですが、戦国時代の弘治年間(1555年〜1558年)に、因島・村上氏の村上吉充が築かれた伝わります。
これは、1555年、厳島の戦いにて、村上吉充が、末長景道を派遣して、毛利元就に味方した功績により、向島と宇賀島を与えられたものです。
向島は、尾道の南にある大きな島ですが、この宇賀島と言うのは、備後・岡島城の事で、当時は陸続きではなく「小さな島」だったと考えられます。
そのため、宇賀島城と呼んでも良いでしょう。
そして、村上水軍は岡島城でも、尾道水道を通過する船から、警固料(礼銭)を徴収していたと言う事になります。
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その後、因島村上氏は備後・長崎城から、向島の南にある余崎城へと本拠を移します。
更に、1567年には、村上尚吉・村上吉充らは、備後・青木城を築いて因島に戻りました。
この時、備後・岡島城には、備後・長崎城から村上吉之(村上備前守吉之)が移ったようです。
尾道では、いくつか渡し船がありますが、備後・岡島城の東側は、福本渡船による「渡し船」が出航しており、尾道の道(土堂)~向島(小歌島)間で、毎日運行されていると言う、今でも交通の要所と言えます。
普通自動車でも片道100円くらいで、乗船でき、乗客が来たら出航すると言うスタイルですので、ぜひ、お試しください。
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