淵辺義博居館跡は、神奈川県相模原市中央区淵野辺本町にある平城(屋敷跡)です。
新編相模国風土記稿によると「村の北にあり、広さ三町、馬場蹟等今尚残れリ、又第六天の祠あり」と記されています。
平安時代末期、この付近は、八王子の横山党の領地だったようで、その一族と推定される矢部氏が、隣町に矢部城を構えました
その矢部氏(野辺氏)の庶流が、淵辺氏と考えられます。
南北朝時代の淵辺義博(ふちべ-よしひろ)に関しては、戦国武将列サイトのほうで触れていますので、割愛させて頂きます。
城跡・館跡としての見どころや遺構は何もなく、ただ、石碑があるのみとなります。
しかし、南北朝時代の一大事件で、重要な役割を担った、淵辺義博の館跡ですので、史跡としては大変貴重と言えるでしょう。
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境川より若干高くなる場所になる、旧淵野辺城跡「淵辺伊賀守之碑」は、行き止まりのような道路を進み、フェンスがある水道施設の脇の私有地(アパートの裏手)側にあります。
私有地になりますが、特に見学は制限されていないようです。
ただし、騒がない・違法駐車しないなど、生活されているご近所の皆様に、迷惑をかけないよう、ご配慮賜りますと幸いです。
石碑の隣にある水道施設の土地が、渕野辺氏の館跡という伝承になっているようです。
淵辺義博館跡への行き方・交通アクセスですが、JR横浜線の淵野辺駅北口」から、境川方面に歩いて、約1.4km、徒歩20分といったところです。
駐車場はありませんので、もし、車を止めるとしたら、ノジマ忠生店など、大型スーパーで買い物がてらが、良いかも知れません。
あとは、近くにある「宝珍」さんと言う中華料理店の東側、水道施設の脇の道路が、駐車禁止になっていない可能性があります。
お車の場合、小山田城にも、足を運んではいかがでしょうか?
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