下野・吹上城(ふきあげ-じょう)は、栃木県栃木市吹上町にある平山城です。
最初の築城としては、戦国時代に、皆川城の支城として、皆川一族である膝附宗長(ひざつき-むねなが)が築いたとされます。
他の支城としては、布袋岡城もあります。
膝附又太郎宗長は、皆川成勝の甥です。
近くにある正仙寺(しょうせんじ)の境内には、吹上城主だった膝附氏の墓碑などもあるようです。
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膝附宗長の子としては、1529年に生まれた、玄宥と言う僧侶がおり、7歳のときに皆川・持明院の宥日僧都の弟子になっています。
その後、玄宥(げんゆう)は、1577年に根来山の智積院(ちしゃくいん)に入り、根来寺での教育や鉄砲製造に寄与したようです。
豊臣秀吉の紀伊攻めにて一時、高野山に逃れましたが、その後、徳川家康の許可が出て、京都に智積院(真言宗・智山派の総本山)を再興し、200石の寺領を得ています。
話を戻しますが、現在の栃木市立吹上中学校の場所が、吹上城の本丸です。
土塁や堀などの遺構がよく残っていたようですが、昭和22年(1947年)に中学校が建設された際に失われ、東側に土塁と空堀の一部が残るのみだと言います。
また、校舎の中央玄関近くに、石碑もあるようですが、校内に入って写真撮影などされる場合には、職員室に行き、許可を得て頂けますと幸いです。
あと、住吉神社の拝殿の裏にも土塁が残っているようです。
江戸時代に入ると天領となって、名代官・山田鉄五郎らが、中学校の場所に陣屋を置きました。
その後、文政6年(1821年)に、出張陣屋であった那須郡の八木沢陣屋と一緒に真岡陣屋に併合されて、陣屋は廃止されています。
幕末の1842年には、上総・五井藩主の有馬氏郁(有馬備後守氏郁)が、吹上へ移封となり、1万石の吹上藩が成立すると、改めて吹上陣屋が築かれました。
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なお、吹上城と言う名称の城跡は、今治城をはじめ、尾張・吹上城、肥前・吹上城など、各地にありますので、混同しないよう注意が必要です。
下野・吹上城への交通アクセス・行き方ですが、JR両毛線の栃木駅、または東武鉄道・日光線の栃木駅から、バスにて吹上新道バス停下車となります。
駐車場はありませんが、小学校の西側(案内板の先)付近に短時間の駐車は可能です。
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