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武蔵・柚木城(由木城) 柚木城跡の永林寺と大石定久像・大石家墓所

武蔵・柚木城(由木城)




武蔵・柚木城(由木城)は、東京都八王子市下柚木にある平山城で、柚木城跡は現在の永林寺となっています。
高月城主・大石定重の子である大石定久(大石源左衛門尉定久)が、館を構えた場所されるため、柚木城(由木城)と称されます。
現地を訪れると分かるのだが、野猿街道の交差点名は「殿ケ谷戸」と言う通り、永林寺(柚木城)がある場所は、鎌倉時代特有の「谷戸」になっています。

最も、その昔は「由井牧」と言って、馬の飼育をしていた地であり、戦国時代に登場する大石定久よりも、もっと昔からこの地に派遣された中央政府からの役人の館があったのではと推測できます。
と言う事で、推測するまでもありませんでしたが、あとで調べて見ますと、柚木氏発祥の伝承が下記の通り2説がみつかりました。





1135年~1140年頃に、武蔵西党・西三郎宗貞が由木姓に改めて堀之内に居を構えた。
1156年~1158年頃に、横山党・横山保経(横山六郎保経)が由木姓に改めて下柚木北部に居を構えた。

上記の2説ですが「堀之内」と言うのは、柚木から見ますと東隣で、京王多摩線の京王堀之内駅もあります。
堀之内から来たに出た平山城などは、武蔵西党の最大勢力である平山季重が鎌倉武士として1156年頃より源頼朝の元で活躍していますので、堀之内に住んだのは間違えないでしょうが、柚木城に住んだと言う事ではなさそうです。
西党からは長沼、稲毛、平山、由木、立河、二宮、由井、小宮氏らの分家ができたとされていますので、その説を取りますと、柚木(由木)は、西党・西三郎宗貞と密接な人物が分知して「柚木城(柚木館)」を設けて柚木氏を称したと考えてよいでしょう。
となると、横山党の横山保経(横山六郎保経)は、柚木氏に婿入りしたのか?とも受け取れます。
横山保経(横山六郎保経)は横山隆兼の子と推測され、横山党と西党は仲が良く、横山隆兼は近隣豪族には他にも多数血縁を結んでいますのでね。





横山党が和田の乱で滅んだ際に、横山党の大半は討死しますが、その中に横山六郎の名もありますので、横山保経(横山六郎保経)との確証は得られませんが、討死したと考えて良いかも知れません。

その後、柚木城は片倉城同様に大江広元の一族である長井氏の支配地となり、戦国時代には木曽義仲の後裔と言われる大石家と言う流れのようです。

柚木城(由木城)

ここでまず、柚木城(由木城)がある永林寺への行き方・アクセスを先にご紹介致します。

下記の地図ポイント地点が参拝者用の無料駐車場になっています。
小学校脇の道路から入って行ってください。

戦国時代となり、1521年には滝山城が大石定重によって築城されます。
そして、1527年に大石定久が家督を継いで滝山城主となると、叔父・一種長純大和尚に柚木館を譲り、1532年3月に永鱗寺(永林寺)が創建されたようで、1546年には七堂伽藍の大寺院となりました。

永鱗寺(永林寺)

永林寺へ一歩足を踏み入れますと、その立派さに驚きました。
大変失礼な言い方かも知れませんが、多摩のお寺さんと言う事になりますが、ヘタな鎌倉の寺院に決して負けません。

永林寺の山門への参道

下記は永林寺の山門です。こちらも大変立派です。
各写真はクリックすると拡大します。

永林寺の山門

大石定久が小田原城主・北条氏康に屈すると、1559年、大石定久の娘・比佐の婿養子となった北条氏照が滝山城主となります。
そして、柚木の永林寺などから相模原方面にも広がる広大な由井領は北条氏照が直轄したようで、大石家は北条氏照の家臣となりました。

永林寺の本堂

戸倉城にて隠居していた大石定久(大石源左衛門尉定久)ですが、1549年10月7日に死去します。
一説には、猿丸山(現在の野猿峠)に登って、浄福寺城(松竹城)方面を望んで自刃したとされ、大石定久の墓は江戸時代に永林寺に移されたとされます。

永林寺にある大石家の墓

大石定久の死は大石家を乗っ取られた恨みで命を絶ったとも言われますが、近年の研究では大石定久の死は自然死だった考えられるようになってきています。
いずれにせよ、江戸入ってから大石家の墓所が整備されたようでが、本堂の左手を進むとあります。

大石定久の墓

八王子城で戦死した家臣・小田筑後守の墓もあるようです。
お墓にはいつも礼節を通してお辞儀をし、ご冥福をお祈りしてから撮影させて頂いておりますが、余り墓石までジロジロと見るのは好きではありませんので、どの墓が小田筑後守の墓までかは不明です。

1569年には、武田信玄の小田原城攻撃の途中、滝山城は陥落寸前まで追い込まれています。
そして、1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、八王子城には大石照基(大石信濃守照基)なる武将が籠城に加わっています。





大石定久の子である大石定仲(大石播磨守定仲)と松田康定の娘の間の長男は、柏の城主・大石直久(大石越後守直久)で、大石定長へと続きます。
そして、大石定仲と養子・大石定勝は、八王子千人同心として大久保長安に仕え、江戸時代でも続いたとされます。

永林寺には、大石家の家紋である丸に三つ星の他、北条家の三つ鱗、天皇家の菊の御紋、五三の桐、徳川家の三つ葵(中雀門)など、五つの紋が施されており、これも珍しいです。
写真は失敗したので、すみません。

1590年、関東に入った徳川家康は、この多摩地区を視察しており、永林寺を訪れたとき「名におえる永き林なり」と景観を褒めたため、この時「麟」を「林」に改めて永林寺となり、寺領10石の御朱印状を拝領し、近隣に10ヶ寺の末寺を擁した中本寺格寺院になったと言います。

永林寺の三重塔

永林寺にはこんな三重塔もありますので、この辺りでは寺院訪問の穴場とも言える景観です。

柚木城跡

本堂脇から上記の案内がある方向へ進むと、大石家の墓所があります。

柚木城跡

墓地の後方にある中腹地点が、一応柚木城跡と言う事?になっているのか、石碑などがありますので、そこまで見学可能です。

柚木城跡の下馬

その曲輪?とも言える台地に上がりますと「下馬」の石碑がありました。
ここまできてようやく下馬と言うのは、なんとも信じがたく意味がわかりませんが、雰囲気は出ます。

柚木城跡

曲輪?とも言える台地はこんな感じです。

由木城

ここに柚木城(由木城)の標識がありました。

大石定久の像

上記は、大石定久の像です。
大石家の歴代の中でも、一番話が多いのは大石定久ですが、大名にも成りきれず北条家に吸収された大石家です。
しかし、銅像まであるのは地元では慕われていたと言う証拠でしょう。

以上、柚木城と永林寺のご紹介でした。

大石やかた公園

近くには大石やかた公園なる、大石家の館があったとされる場所もあると言う事も帰宅後に判明し、追って訪問してきました。
柚木城とセットでご訪問すると良いでしょう。

大石やかた公園に関してはこちら

他にも柚木城の北側には「平山城」もありますし、柚木城の西側には片倉城もありますので、セットでどうぞ。
滝山城八王子城もあります。

武蔵七党の最大勢力~横山党
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高月城と圓通寺~大石家の本拠地(おまけ二宮城)
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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