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陸奥・大森城とは
陸奥・大森城(おおもりじょう)は、福島県福島市大森本丸にある標高147m、比高60mの小高い丘陵の先端部に築かれた山城で、現在は大森城山公園として整備されています。
別名は臥牛城、白鳥城、鷹峰城。
大森城の最初の築城者や年代は不明ですが、戦国時代1506年の史料では常光寺が大森城の城下町に建立されたとあります。
南北朝時代には、佐藤盛衡(佐藤十郎左衛門盛衡)と言う武将が福島に確認できますが、大森城主であったかどうかは分かりません。
戦国時代に入ると、梁川城主・伊達稙宗の3男・伊達実元が大森城主となり整備されました。
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1584年、伊達実元は家督を子の伊達成実に譲ると、八丁目城にて隠居しています。
天正14年(1585年)、二本松城の二本松義継が、伊達政宗の父・伊達輝宗を拉致したため、粟之巣の変事にて、伊達政宗は父と二本松義継を鉄砲で撃ち殺されたとされます。
その後、伊達政宗は二本松城の畠山氏を攻略し、戦功があった伊達成実は二本松城主を与えられました。
そのため、大森城には片倉景綱(片倉小十郎景綱)が入っています。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置きによって、蒲生氏郷の客将・木村吉清が大森城主となりました。
しかし、1593年に杉妻城(杉目城)を改修して「福島城」と改名すると、以後、福島城を居城としました。
現在の福島市や福島県の「福島」という名の誕生となった訳ですが、これにともない大森城は廃城となりました。
しかし、蒲生家が宇都宮城へ移されたあと、上杉景勝が会津に入ると、大森城は再び使用されるようになり、栗田国時が大森城主となっています。
関ヶ原の戦いの直前に、栗田国時が徳川家康に内通した際に殺害されたあとは、白河城の芋川正親が大森城主となりました。
以後、江戸時代に入っても大森城は芋川家に受け継がれましたが、1644年に上杉綱勝が急死し、上杉綱憲の相続騒動によって、上杉領が15万石に半減された際に、信夫郡は幕府直轄領となり、大森城は廃城となっています。
下記は大森城の本丸跡です。
もう読めませんが、大森城の碑もあります。
大森城の本丸脇には、石棺などがある「古墳」も再現されています。
下記は本丸からその先端方面を撮影したもので、公園としてかなり整備されています。
下記は見返した大森城本丸です。
福島盆地を見下ろす模擬櫓もありましたが、冬季は立入禁止なようです。
その模擬櫓付近からの福島市内の展望です。
模擬櫓の手前は空堀になっています。
2014年には大森城の城山公園全体が「除染」されましたが、麓の民家などでは2015年12月現在、まだ除染作業しているところもありました。
大森城の模擬櫓付近には遊具も色々と設置されていました。
帰り道の写真4連発です。
大森城の全体地図は下記の通りです。
下記は麓から撮影した大森城です。
大森城の東側山麓にある城山観音堂には上杉時代の城代・芋川氏の墓があります。
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交通アクセス
大森城への交通アクセス・行き方ですが、JR南福島駅からだと大森城の麓まで約2.2km、徒歩30分です。
大森城は山頂部分に駐車場があり、道は細いですが車で登れますのでラクラクです。
駐車場も30台は止められ、トイレも完備されていますが、東北特有の事情で冬季はトイレ閉鎖される場合があると思います。
見学所要時間は、私の場合20分でした。
駐車場の場所などは、当方のオリジナル東北地図にてポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。
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歴応四年正月十三日【石塔義房軍勢催促状】1341年(北朝方)
為対治凶徒発向之間、可被警固岩切城也、若雖為片時有懈怠者、
可処罪科之状如件、
歴応四年正月十三日 沙弥(石塔義房 花押)
佐藤十郎左衛門入道殿(性妙)
陸奥国府は信夫郡にあり、国府ちかくの岩切城とは大森城です。大森城山は元来金山で岩を切り金の産出をしたところゆえに岩切城と呼ばれたのです。多賀城発掘調査で平安末期より一世紀以上前に廃絶されていたことが確認されています。そもそも多賀城は加美郡部内ノ城で名取以南十四郡から遠く離れた所のしろです。偽多賀城碑出土を根拠に多賀城跡と江戸時代に強弁したのです。名取郡近くの多賀城碑出土地は多賀城跡でも多賀国府跡でもありません。多賀国府など存在しませんでした。