大村純忠終焉の館
日本初のキリシタン大名である大村純忠が隠居したあとに移り住んだ和田にある坂口館です。
屋敷の広さや居館跡の具体的な場所は不明ですが、古くは大村家の重臣・庄頼甫(しょう-よりすけ)の屋敷があったとされます。
のちに、龍造寺隆信の圧迫を受け領主を退いた大村純忠が晩年に隠居したと言う事で約2年間余生を過ごしました。
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未亡人となった正室・西郷純久の娘(おえん)は、伴天連追放令が出ると、ここで宣教師をかくまったと言います。
そのため、子の大村喜前が1606年に棄教するまで、イエズス会が使用しました。
現在は、大村純忠歴史公園として整備されています。
肥前・坂口館跡への行き方・交通アクセスですが、下記の地図ポイント地点が大村純忠終焉の館の駐車場で4台ほど止められます。
他にも高速長崎自動車道)の高架の下にも10台ほどの駐車場があるのですが、入口が「鎖」で閉ざされていましたので、上記に止めた次第です。
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