目次 Contents
佐伯城とは
佐伯城(さいき-じょう)は、大分県佐伯市にある山城で、続日本100名城にも選ばれています。
別名は、鶴ヶ城、鶴屋城、鶴谷城とも言います。
1601年、関ヶ原の戦いで徳川家康に味方した毛利高政は、佐伯2万石へと転封となり、栂牟礼城に入りました。
しかし、堅固な栂牟礼城は不便だと、新たに佐伯城の築城と、城下町の普請を1606年に開始しました。
なお、堅田・床木の2千石を再び弟・森吉安に分知していますが、佐伯藩の軍役分は2万石のままとされています。
また、これがややっこしいのですが、片桐且元により天領となった日田・玖珠2郡の郡代を、しばらく命じられました。
佐伯藩には「佐伯の殿様、浦でもつ」と言う言葉がある通り、漁業などの海産物が主な収入源で、林業も藩財政を支えたと言いますが、平坦な土地が少なかったので、農業は発展しなかったようです。
1606年に佐伯城が完成していますが、外様大名の宿命として江戸城、駿府城、名古屋城と連続して、天下普請の参加を命じられており、また遠距離の参勤交代などもあり、佐伯藩の財政は悪化したようです。
スポンサーリンク
1613年には、大久保長安事件に連座して配流となった石川康長の身柄を引き受けています。
1614年、大坂冬の陣では備前島・京橋の警固にあたりました。
翌年、大阪夏の陣にも出陣しましたが、到着したのは大阪城の落城後であったと言います。
そして、1628年11月16日、毛利高政は70歳で死去したました。
スポンサーリンク
ともあれ、佐伯藩では第12代藩主・毛利高謙まで続き、明治を迎えています。
毛利高政が、江戸幕府に新城築城の願いを提出した際の第1候補地は女島山で、第2候補に八幡山(現在の佐伯城)だったそうです。
要するに、許可が下りたのは、第2候補だったと言う事ですが、これは外様大名の本拠における新城申請には、第2候補にて許可すると言う、幕府の考え方があったようです。
ちなみに、女島山は佐伯市街地の東に位置する中江川の東岸にあります。
下記の櫓門(やぐらもん)は、三の丸御殿の正門として1638年に建てられた現存建物です。
立派な門ですが、近くで見ると結構痛んでおり、歴史を感じさせます。
豊後・佐伯城(鶴屋城)の虎口は、近世城郭としては小さくて、人が1人、通るのがやっとという感じだそうです。
先に立ち寄った臼杵城の散策が思っていたより時間超過してしまい、佐伯城は麓しか回らなかったので「だそうです」となり、申し訳ありません。
本丸を中心に左右に曲輪を伸ばしているその姿から、鶴屋城(鶴城)とも呼ばれました。
佐伯城の築城当時は、本丸に3重天守(独立式望楼型3重)があったと云われていますが、早くに落雷にて焼失したようです。
また、2代藩主・毛利高成のときまでは、山上に住んでいましたが、1637年、3代・毛利高直の時には櫓門を創建し、山麓に三の丸を増築して居所を移しています。
それ以降、佐伯城の本丸や二の丸は荒廃したようです。
スポンサーリンク
総石垣造りですが、山城であり、山頂部の平坦部などは近世城郭としてはかなり狭いそうです。
そのため、大勢の兵力にて籠城するのは困難な様相だと言います。
よって、援軍を得て大軍で守る際には、栂牟礼城も活用する事を視野に入れていたとは思います。
もっとも、2万石ですので、そんな事になることは有りえないだろうと言う想定の元、藩政の象徴として佐伯城が機能すれば充分だったのでしょう。
下記は麓に残る城下町の面影で下記は移築されている薬医門となります。
下記は、佐伯藩・毛利家の菩提寺となる養賢寺です。
現在の修行僧が修行する禅寺と言う事ですので、立入は遠慮させて頂きました。
明治の文豪・国木田独歩の作品にも描かれている「安井の井戸」(あんせいのいど)は、8代藩主・毛利高標に仕えていた藩医・今泉元甫(げんぽ)が、飲料水に困っていた領民の為に私財を投じて掘った井戸の1つです。
佐伯城への交通アクセス
さて、佐伯城への行き方・アクセスですが、三の丸跡にある佐伯文化会館に、大きな無料駐車場があり利用できます。
ここには昭和40年(1965年)頃まで、御殿の一部が残っていたといいます。
下記の地図ポイント地点が、駐車場の入口です。
地図は縮尺を自由に変えて、ご覧願います。
その佐伯文化会館の北側から山上に向かって、独歩碑の道、登城の道、翠明の道、若宮の道と、4つの登山道があります。
そのうち中央の「登城の道」が昔からある正式な登城路で、他のはあとからつけられたようです。
ただし、登りは独歩碑の道(徒歩15分)で行くと石垣などを眺めながら本丸に入れるとの事です。
登り口の駐車場の近くに2015年5月「佐伯市歴史資料館」が開館しています。
この資料館は撮影可能で、佐伯城の模型や栂牟礼城の説明もあります。
また、野外展示物として三府御門(江戸後期)と毛利家御居間(明治期)があります。
JR佐伯駅から歩くと徒歩20分です。
なお、佐伯駅前に観光案内所があり、無料のレンタサイクル(貸自転車)もあります。
スポンサーリンク
佐伯城の観光所要時間は約60分くらいだと思われます。
違っていたらコメントお寄せ願えますと幸いです。
・栂牟礼城(とがむれじょう) 佐伯惟治 佐伯惟定
・太田一吉~文官派として大分の臼杵城にて籠城した西軍の将
・志賀親次と岡城~荒城の月の舞台でもある見事な山城の岡城
・早川長政(早川長敏)とは~真田幸村とも共に戦った戦国末期の大名
この記事へのコメントはありません。