安房・館山城(たてやまじょう)は、千葉県館山市館山にある連郭式山城で根小屋城とも呼ばれます。
標高は66m、比高は60mほどで、館山市と太平洋の展望も良い山城です。
最初の築城と致しましては里見氏で、重臣・正木憲時が北条氏政に寝返るなどの謀反があり、本拠地である安房・岡本城も危うくなってきたため、1578年に里見義頼が築城を命じたようです。
里見義頼の居城の安房・岡本城の支城として、1580年にはすでに城番を置いたとあります。
その後、里見氏の本拠地となり、1588年に里見義頼が大改修を開始して、館山城は1590年に工事が完了しました。
江戸時代に入って、小田原城の大久保忠隣が謀反などの疑いで所領没収・改易になります。
このとき、里見義頼の跡を継いでいた里見忠義(さとみ-ただよし)の正室は、大久保忠常の娘、すなわち、大久保忠隣の嫡男の娘を妻にしていたため、連座となります。
1614年、里見忠義は減封・国替えとなり、鳥取・倉吉の打吹城3万石となります。
ただし、実質的には4000石程度と、非常に厳しいものでした。
そして、館山藩は取り潰しとなり、館山城も廃城・破却になったのです。
のち、江戸時代中期の1781年に稲葉正明が館山藩主となりましたが、館山城は破壊されたままで再建されず、2代・稲葉正武は、麓に館山陣屋を構えました。
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太平洋戦争になると、アメリカ軍のB-29や艦載機の多くは、館山上空を通過したこともあり、城山には機関砲や高射砲が配備されたようです。
そのため、麓の無料駐車場から、車も通行できる広さの「道路」が完備されており、高齢者や車椅子などの方は、山頂脇の駐車場(3台)までの進入が許可されています。(健常者は麓の駐車場から徒歩で山頂まで約5分となります。)
ただし、道路が作られたように、本丸も7m削平されたとされ、その土砂で千畳敷と呼ばれた二の丸が埋まるなど、館山城跡はかなり改変されてしまっています。
麓にある館山市立博物館(本館)では1階に歴史展示室があり、里見氏などの資料もあります
曜・祝日には歴史教室「甲冑を着よう」なども開催されているようです。
なお、館山城の天守のチケットと博物館は「共通券」のみの発売となっていますので、時間が許せば両方見学しましょう。
1982年(昭和57年)に建てられた模擬天守の内部は「八犬伝博物館」になっており、南総里見八犬伝に関する展示となっています。
さて、安房・館山城への交通アクセスや行き方ですが、城山公園駐車場は下記の地図ポイント地点が「入口」となります。
上記の地図は縮尺を変えてご覧願います。
館山城の本丸から望む東京湾の展望は大変素晴らしく、里見家の家臣らもこのように綺麗な景観を毎日見ていたのだと思うと、非常に羨ましく感じました。
関東を制覇したとも言われる小田原城の北条家の圧迫からも耐え、戦国時代の乱世を見事に生き抜いた里見家ですが、このような結末になるとは当時はだれも予想もしていなかったことでしょう。
権力とは恐ろしいものだとツクヅク感じる今日この頃です。
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