群馬県

上野・磯部城 手つかずの縄張りが楽しめる安中・磯部城

上野・磯部城

上野・磯部城は、群馬県安中市鷺宮新地城山の磯部城址公園にある平山城になります。
戦国時代、1561年、国峯城を攻略した武田信玄は、群馬県の南部にある鏑川流域を支配に加えます。
そして、安中城箕輪城を攻略する最前線拠点として、1562年頃に築城(改修)したのが、安中の磯部にある連郭式の山城「磯部城」(いそべじょう)と考えられています。
磯部城の標高は約251m、麓の川とで比高52mでして、約5km離れた安中城の標高が167mですので、見下ろす形で警戒も可能です。





磯部城址のある丘陵は、500mほど東にある文殊寺城(もじょうじ)(文殊寺砦)へ連絡しています。
この文殊寺城は、狼煙台の役目も果たしていたようです。

と言う事で、恐れおおくも柳生聡氏ご先導のもと、磯部城に登って見ました。

磯部城

下記は「馬出し」です。
現在は「磯部城址公園」として開放されており、標識や道もきちんと整備されていますので、評価に値します。

磯部城の馬出し

空堀もなかなか良好な状態で残っていましたが、道はクネクネと登って行きますので、進入した敵は、なんども城兵から攻撃を受ける形になっています。

磯部城の空堀

舗装された道を登り切ると、広い「平坦地」に出ますが、下記がその二の丸の虎口で、最も防衛上重要だったところと推定できます。

磯部城の二の丸

今でこそ案内表示がありますので、二の丸と分かりますが、何も知らない敵が進入したとしたら、ここが「本丸」かと錯覚するような縄張り構造です。

磯部城の二の丸

ここは本丸ではなく「二の丸」と言う事で、堀切にある土橋を渡った先が「本丸」の平坦地でして、土塁で中が遮られて見えなくなっています。
また、写真はでは草が茂っていて土橋も良くわからないのですが、写真中央の草と草との狭い間を抜けると本丸となります。
写真をクリックして大きく表示したら少しは判別できるようになるかも知れません。

磯部城

磯部城の本丸は笹薮に埋もれており、周囲の土塁なども、あるのかないのか?、よく分かりません。
下記は主郭部の田村神社です。

磯部城

下記は本丸の西側から下方向を撮影したものです。
当然、安中城がある北側から攻め込むのは大変ですので、敵が入って来るとしたら、このようになだらかな南や西からになると思いますので、曲輪的なところもあったでしょうし、なんと言っても一番大勢で攻め込める南からの侵入はかなり想定された防御態勢になっています。

磯部城

なお、武田氏滅亡後に小田原・北条家が、一部改修したとも考えられますが、とにかく戦国期の伝承や史料も乏しいため、これもなんとも言えません。
恐らく、地元にお住まいだった当時の皆様は、武田も北條も問わず歓迎しなかったので、記録も少ないのかな?とも受け取れます。
しかし、武田勢では誰が磯部城の守備を任されたのでしょう?
内藤昌豊ですかね?
これだけコンパクトでも技巧的な磯部城の築城を指揮した武将と言い、非常に気になります。

磯部城

下記は二の丸の東側土塁の上にある「櫓台」とされるところですが、そんなに広いスペースではありません。
櫓と言うと大げさになってしまうように感じますが、見張り台的な建物はあっても良い所です。

磯部城

時間が限られていたのと雨も降りだしたため、早々に撤退しましたが、そんなに規模は大きくはなくても、防御としては有効な技巧が目立ち、想像力も掻き立てられる、なかなかオモシロイ縄張りの「磯部城」でした。
当然、遺構は戦国時代のものであり、鎌倉時代ではありません。
下記の案内図を見る限りでは、北側にも駐車場があるようです。

磯部城の地図

磯部城は、廃城になってから、恐らく人の手はほとんど加えられていないようなので、土塁や空堀遺構も残されており、素晴らしいです。
しかし、草刈が不十分でして、せっかくの遺構ですから、地元の歴史愛好家さんなどが立ち上がって保存活動して頂けるのを期待したいところです。





安中・磯部城の最初の築城は不明ですが、1201年4月に磯部郷先宮(鷺宮)に屋敷を構えたとされる佐々木盛綱の旧跡とも言われていますが、確証は得られません。
仮に佐々木盛綱が砦的なものを作っていたとしても、武田時代に大幅に改修されてしまっていると思います。
詳しい発掘調査でもして、鎌倉時代のお椀でも出てくれば、確認が取れる訳ですが、安中市さんも急斜面の工事に斜面を1ヶ月発掘調査したくらいですので、鎌倉時代の物は見つかっていないようです。
しかし、鷺宮は、今でも古い町並みを感じさせる集落で趣があり、良い所です。

磯部城の場所ですが、下記の地図ポイント地点が、麓の駐車場となります。

地図だとわかりにくいのですが、南の大きな道路からの入り口が、まず「狭い」です。
ポイント地点が駐車場で約5台ほど止められますが、その手前のクランクがまた狭くて、大きなクルマだと曲がれないと思います。

なお、地図では、その駐車場ポイント地点から道が山の上(磯部城)へと続いているように見えますが、実際には車が入れるような道ではありませんので、駐車場から「徒歩」となります。





JR信越本線の「磯部駅」から歩くと、上野・磯部城の登城口まで約1.4km、徒歩20分となります。

磯部城の見学所要時間は20分~30分で、念入りに見る場合には加算願います。
できれば草が枯れている冬がお勧めです。
曲輪などもこまめに探索するのであれば、トレッキングポールがあった方が良いかも知れませんが、通常見学であれば不要で「優しい」山城入門とも言える磯部城です。

安中は本当に歴史も深く、良い所ですので、信照寺さんもセットでどうぞ。

長野業正とは~猛将・長野業政に勝てなかった武田信玄
内藤昌豊(内藤昌秀、工藤昌豊)~武田家で大活躍した戦国武将
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後閑氏の存亡と後閑信純とは~後閑城の訪問記

 

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攻略難易度
中級者向け
旧国名
上野
著者コメント
遺構はなかなかよく残ってますので、楽しめます。




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