釜蓋城(かまぶたじょう)は、日露戦争で戦死した軍神・橘中佐を祀った橘神社の裏山・小倉城山にある山城で、標高は126.9m(国土地理院)、比高は約78mです。
1569年、日野江城主・有馬義純の一族である、千々石直員が築城しました。
釜蓋城
現在の釜蓋城跡は公園として整備されています。
天守は模擬天守で展望台にもなっています。
グラウンドや展望台などから千々石湾(橘湾)と千々石の街並みを望めます。
また、麓には、千々石澄員(千々石大和守)の遺言で建設された天満宮が残っています。
下記が天満宮です。
なお、松倉重政が島原城を築く際に、釜蓋城の建物や石垣は持ち去られ、完全に廃棄されました。
下記は釜蓋城・本丸に残る仏像・神父像です。
接近して撮影するし下記のような感じです。
毎年3月には、夜間に松明を手に持ち、甲冑をまとった武者行列が練り歩く、全国でも珍しい松明行列は多くの見物客で賑わうそうです。
下記も釜蓋城趾展望台からの展望です。
釜蓋城へのアクセス・行き方ですが、千々石中学校の手前を右に折れて、道なりに山を登って行きます。
すると本丸脇のグランド(二の丸?)の崖下にある無料駐車場が利用できます。
トイレも有ります。
下記の地図ポイント地点が駐車場の場所です。
島原城を築いた際に、千々石村の和田四郎左衛門義長が、島原藩主・松倉重政に訴えて、海風の塩害を防ぐ防風林を海岸線に植樹しました。
現在残る、千々石海岸の松林がそうですね。
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