筒井城(つつい-じょう)は、奈良県大和郡山市筒井町にある平城です。
筒井城の城下街を囲むように、平地部に築かれたようで、比較的規模は大きいです。
と言う事で、筒井城へ行って参りました。
まず、場所ですが、このページトップに掲載している「筒井順慶城」の石碑がある場所は下記の地図ポイント地点となります。
クルマで入るのがちょっと厳しい、細い路地を抜けたところとなります。
下記の写真の場所から、民家と民家の間を入ります。
そして、下記のように狭い路地を抜けていくと、石碑がありました。
なお、この石碑から東へは、地図には掲載されていない「あぜ道」があり、そのあぜ道を抜けて東に出た辺りが、筒井城の本丸付近と考えられているようです。
筒井城を示す説明版などがあります。
上記の説明版などがある場所は、下記の地図ポイント地点となります。
近くには、菅田比賣神社がありますので、立ち寄らせて頂きました。
神様に社殿の大小は関係ありませんので、丁重にお参りさせて頂きます。
次に八幡神社を目指しますが、途中、道の真ん中に「社」がありました。
しかし、この辺りも道は狭く、昔のまんまです。
立ち話されている女性が写真に入ってしまいましたが、10分たってまた戻った時でもおられた為、写っておりますこと、ご容赦願います。
下記は専念寺です。
専念寺は、戦国時代後期の開山で、筒井順慶の木像が安置されているとの事です。
筒井の八幡宮やってきました。
八幡宮の境内には、筒井順慶公の碑が建立されています。
ただ、ちょっと石碑がある場所がわかりにくいので、地図にて示しておきます。
境内から入ってください。県道側からは入れません。
しかし、筒井城の周りは、かつては湿地帯であったことが良く分かります。
しかも、道も狭いのでクルマで付近を周るのは困難です。
曲がり角など、小型車で、ほんとスレスレです。
筒井駅からは近いので、結構、歩いている方は多いのですが、自動販売機ひとつなく、喉がカラカラになってしまいました。
さて、電車の場合、近鉄の筒井駅から徒歩圏内となりますが、クルマの場合には、古い城下町と言う事もあり、駐車場など止めるところがありません。
たまたま、下記の地図ポイント地点にコインパーキングがありましたので、利用させて頂きました。
しかし、このコインパーキングはちょっと特殊です。
利用料金は24時間300円のワンパターンしかなく、料金を支払ったらその「券」をダッシュボードに掲示しておく方法となります。
筒井城の付近を散策した見学所要時間は約30分くらいでしたが、300円・・。
まぁ、あるだけありがたいので、せこい事を言うのはやめましょうかね?
とにかく、大和郡山付近は、このような観光での駐車場事情、あまりよくありません。
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最後に、筒井順慶の墓です。
筒井順慶の墓
筒井順慶の墓がある場所は、筒井城から近鉄でひと駅南下した「平端駅」の近くにあります。
筒井順慶歴史公園として一応は整備されていますが、墓域のそんなに広くない敷地が公園と言う名称になっているだけで、公園と言うよりはいわゆる「墓所」です。
上記の通り、草も結構、伸び放題でしてちょっと地元からも見放されてしまっている感があり、残念に思いました。
私から申し上げますと、筒井順慶の生涯はやられてもやり返して這い上がると言う人生であり、それができると言う事は家臣や領民からも慕われていたと言う事でしょうから、NHK大河ドラマにしても、オモシロそうな題材になると思うのですがね。
奈良はもっと歴史が深い所もたくさんありすぎて、戦国期まで手が回らないと言うのが実情なのかも知れません。
筒井順慶の墓は下記の地図ポイント地点となりますが、当然、駐車場ありませんでした。
しかし、郡山ICも近いので交通は便利なところです。
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