馬込城とは
馬込城(まごめ-じょう)は、東京都大田区南馬込にある平山城で、別名は梶原城、馬篭城とも書きます。
東京の大田区と言う事で、周辺はすっかり住宅地となっており、かつて、馬込城があった場所は正確にわかっていません。
推定地と言う事で、湯殿神社か萬福寺あたりと言われています。
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梶原景時は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、源頼朝が挙兵して石橋山の戦いとなった際に、敵でした。
敗れた源頼朝は、ししど洞窟に隠れましたが、飯田家義と共に発見するも、隠れ場所を報告しなかったため、のち、梶原景時は鎌倉幕府から重用されています。
そのため、あちこちに領地があると言う感じでして、寒川に梶原景時館がありますが、ここ馬込も所領のひとつだったのでしょう。
大井町のほうにも、梶原氏館があります。
梶原景時は、鎌倉幕府侍所別当として権勢を誇りましたが、源頼朝の死後、追放され一族33名らと討ち取られました。
戦国時代になると、小田原城の北条氏の領地となりましたが、梶原一族は残っていたようで、小田原衆所領役帳には、北条氏直の家臣として、旧馬込村に梶原助五郎(梶原三河守)なる武将の名が見受けられます。
満福寺(萬福寺)に梶原助五郎の墓と考えられる墓碑があるのですが、これが、伝・梶原景時の墓となっています。
太田区郷土博物館があるので、暑かったり寒かったりした場合には、休憩がてら寄れると良いかも知れません。
交通アクセス
馬込城への交通アクセス・行き方ですが、地下鉄・都営浅草線の西馬込駅から徒歩10分くらいです。
近隣にはコインパーキングなどがあります。
近くの池上・本門寺は、池上氏館跡となります。
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