信濃・琵琶島城
信濃・琵琶島城(びわじまじょう)は、長野県信濃町野尻にあり、別名が野尻城、野尻島とも言われる、野尻湖に浮かぶ琵琶島に築かれた城となる。
標高は650m、比高は、野尻湖と比べると3mとなる。
こちら野尻城は、戦国時代においては高梨家の所領であった。
しかし、上杉謙信の春日山城との国境の境目であり、重要視されたことから、上杉家は野尻湖の北に野尻城(野尻新城)も追加で築いたようだ。
野尻新城の標高は700m、比高は50mですが、登りやすい山城とのことです。
これらの野尻湖畔の尾根上に築かれた 山城・野尻新城と、野尻湖の弁天島になる信濃・琵琶島城とまとめた名称が信濃・野尻城と言うことになります。
下記は、紅葉の時期の野尻城(野尻新城)方面、撮影して参りました。
特に、第4次・川中島合戦のあと、上杉勢は野尻城にも兵を入れて、武田勢の反攻を警戒している。
※この記事においては、ここからは信濃・琵琶島城に上陸した際の写真となる。
1564年、一時、武田信玄の攻勢で「野尻島を乗っ取り候」とあり、このとき信濃・琵琶島城が乗っ取ったようだが、上杉勢がすぐさま取り戻している。
このように武田家との攻防の最前線でもあった。
下記は琵琶島城の堀切。島のほぼ中央にある。
琵琶島城は野尻湖に浮かぶ琵琶島(弁天島・お島・野尻島)にあるため、舟でないといけない。
下記の360度動画(約1分)もあるので、よければご覧頂きたい。
現在は観光遊覧船が琵琶島に約15分接岸するので、その間に、信濃・琵琶島城に上陸する事ができる。
そして、島の東端の最高所に宇賀神社が鎮座しているが、その場所が本丸跡と考えられる。
宇賀神社(琵琶島)にある、宇佐美定行(宇佐美定満)の供養碑(墓)にもお参り可能だ。
1578年、上杉謙信が没し御館の乱となった時には、琵琶島善次郎が城主として見られる。
上杉謙信が建立したとされる、宇佐美定満の供養塔がある場所は、琵琶島・宇賀神社の参道沿いで左側にあるので、気がつかない事はないだろう。
遊覧船はほぼ1時間置きの運行予定だが、時刻表と言うものは無いが、概ね「毎時」出港で、乗船時間約50分。
遊覧船乗り場は下記の地図ポイント地点。
近くには長尾政景の墓がある真光寺もあるので、セットで訪れたい。
・長尾政景の溺死事件と仙桃院の数奇なる運命の果て
・長尾為景~二度主を殺した「奸雄」謙信の父の苛烈な生涯
・春日山城 戦国の息吹を感じ妄想も広がる山城
・宇佐美定満(宇佐美定行)とは~上杉家の軍師と琵琶島城(野尻湖での溺死)
・上杉謙信の解説~越後の龍と呼ばれた長尾景虎・上杉景虎の人物像に迫る
・野尻湖遊覧船と野尻湖のみどころ駐車場まとめ情報
この記事へのコメントはありません。