黒川丸山城とは
黒川丸山城(くろかわまるやまじょう)は、神奈川県川崎市麻生区黒川にある平山城で、別名は武蔵・丸山城となり、比高は約20mほどです。
神奈川県に丸山城という名称の城跡は、相模・丸山城など3箇所ありますので、一般的には黒川丸山城と表記します。
この付近の多摩丘陵にて一番高いところ(標高149m)を見張り台としたようで、その高台直下にある平坦地に屋敷を構えていた模様です。
屋敷跡と考えられる場所は、最高標高地点と言う事もあり川崎市上下水道局「黒川高区配水池」があるため立入禁止で遺構などを確認することはできません。
なお、排水所の土地からは縄文時代の住居跡が16軒分ほど確認もされたようです。
ただし、高いと申しましても急峻さはさほどなく、飛鳥時代から平安時代にかけて相模と武蔵をつなぐ古代東海道が通っていた要所でもあり、物見や狼煙台(烽火台)があったともされます。
この付近は万葉集で「多摩の横山」と詠まれており「防人見返りの峠」や多摩よこやまの道、瓜生黒川往還など昔からの道があり、ルートは確定されていませんが4~5本の古道が縦横無尽(じゅうおうむじん)のように複雑に交差しており、防人・朝廷の軍勢などが通行したようです。
しかし、いつ築かれたのか、誰が黒川丸山城の城主だったのか伝承はなく、歴史不詳の城となります。
でも、黒川の人々はかつて丸山城があったと語り継いでいた訳です。
ちなみに、戦国時代では「北条氏所領役帳」によると小山田荘の領地が成瀬・小川・高ケ坂・森・木曽・山崎・町田・直(能)ケ谷・真光寺・金森・大谷・金井・広袴・木倉(以上は町田市)・黒川(川崎市)・靏間(鶴間)(町田市、神奈川県相模原市・大和市)にて合計419貫812文とあり、武田信玄の家臣で北条氏にも他国衆として処されていた小山田信有が知行していることになっている。
これまで眼下を通っている南多摩尾根幹線道路は100回以上クルマで通行していたのですが付近に駐車できる場所がなく訪問を断念していました。
ずっと川崎側から攻めるのを検討していたのですが、無理なので多摩市側から行ってみようと発想を転換させたところ、近くの「諏訪南公園」の北側(トイレ付近)に公園駐車場が4台ほどあるのを確認できたため、用事があった際に初訪問することができました。
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公園Pからは900m、徒歩10分くらいの距離になります。
今回の登城ルートですが北側にある「エコプラザ多摩前」の信号から歩道を西側に進むと、緑地公園のようなちょっと高いところに上がれる階段があり登りました。
そして、公園内を南下してエコプラザ多摩の裏側に方向に「よこやまの道」(下記)を軽く登りました。
峠のところが分岐になっているため、そこから細い道(下記)を南下して排水池の前にでました。
帰りは元来た道を戻っています。
足元が悪いところもありますので、雨上がりなどは避けて、最低スニーカーなどが良いと存じます。
なお、もみじ広場なる場所に解説板があるようですが未確認です。
交通アクセス
黒川丸山城への行き方・アクセスですが、電車の場合、小田急・多摩線の「はひる野駅」から1.4km、徒歩20分とちょっと不便です。
クルマの場合、多摩市の諏訪南公園にある駐車スペースが利用できました。
駐車場の場所は当方のオリジナル地図にてポイントしています。
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