富山県

蓮沼城 遊佐慶親など越中・遊佐氏の本拠地

蓮沼城




蓮沼城(はすぬま-じょう)は、富山県小矢部市蓮沼にある平城です。
最初の築城や年代は不明ですが、室町時代の永享年間(1429年~1441年)の前半に礪波郡を領地としていた遊佐氏(遊佐徳盛か?)が、北陸道の抑えとして築きました。
遊佐氏(ゆさし)は、南北朝時代に畠山氏に仕え、子孫は河内国、能登国、越中国の守護代を務めました。

遊佐氏と申しますと、河内・若江城主の遊佐長教(ゆさ-ながのり)などがいますが、その遊佐氏は河内守護代ですので、越中の遊佐氏とは親族となります。
他にもお隣の能登の先端のほうにも、遊佐氏がおり、遊佐続光などが有名ですが、越中の遊佐氏とは区別されます。





文明年間(1469年~1486年)、連歌師・宗祇が越後に向かう途中に、蓮沼城主・遊佐長滋の館へ度々寄ったとあります。
千句の連歌を催しており、宗祇が残した「新撰菟玖波集」に、遊佐長滋が詠んだ歌が記述されています。
蓮沼三千軒とも呼ばれ、大いに栄えた場所でした。
川に小舟を浮かべれば、日本海の放生津城付近まで、移動もできたと言います。

越中・遊佐氏の家臣としては、柴田屋館主・柴田久光などがいます。

その後、永正・大永年間(1504年~1527年)に、畠山義総に仕えていた蓮沼城主・遊佐慶親が、埴生護国八幡宮に108段の石段を寄進したのが見受けられます。
しかし、加賀一向一揆が伸びて来ると、遊佐慶親(遊佐新右衛門慶親)は抵抗できず越後に逃れました。

蓮沼城

その後、一向一揆と木舟城の石黒氏が、支配を争った模様です。

1569年、上杉謙信越中・松倉城などを攻撃すると、一向一揆勢力に加わって抵抗していた椎名康胤が蓮沼城に逃れましたともあります。
しかし、1576年9月頃には、上杉勢が蓮沼城を攻撃しており、椎名康胤は討死したと言います。
ただし、椎名康胤の最後の地に関しては、諸説あるようです。

その後、織田勢が進出して、越中は佐々成政が治めるようになりました。
1585年、豊臣秀吉の侵攻が行われる現実味が増すと、防衛拠点として蓮沼城に兵糧が集まりました。
そのため、前田利家は蓮沼城を急襲して焼き討ちを行い、佐々勢が逆襲するまえに撤退しています。
そのため、城としての機能を失い、前田利家が新たに越中・今石動城を築城すると、北陸道の道筋も変わって、蓮沼城の城下も、今石動城ほうに再建されたようです。
現在の石動駅付近ですね。





蓮沼城は蓮沼公民館の近くにありましたが、もともと、沼地にあった城でしたので、遺構というものは残っていません。
ただし、石碑と案内板が設置されていましたので、当方のオリジナル地図にて、場所をポイントしておきます。

蓮沼城への交通アクセスですが、石動駅からタクシー利用となります。
駐車場はありません。

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