松波城(まつなみ-じょう)は、石川県鳳珠郡能登町にある標高30m、比高20mほどの平山城です。
のちに城跡から枯山水の庭園が発見さた旧松波城庭園は、国の名勝に指定されています。
信長の野望と言う戦国シュミレーションゲームにも登場する能登では有名な城跡です。
奥能登には、平安時代から日本でも最大規模になる若山荘を、摂関家・九条家が領していました
やがて、領家職は日野家になり、地元の武士である打波家や本庄家、松波家が荘園経営を担いました。
1348年には九条経教と日野時光の間で領家職をめぐる相論が発生していてます。
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1408年、畠山満慶が能登守護に任命されると、以後は、能登・畠山氏の支配下となりました。
能登畠山氏の第3代当主・畠山義統(はたけやま-よしむね)のときに、松波城の工事がはじまって、1747年に完成したとあります。
そして、3男・畠山義智が松波に入って、松波・畠山氏の祖となりました。
5代当主・松波義龍のときに、地元の有力豪族である松波氏の名跡を継いで松波氏と改名しています。
戦国時代に入ると、1577年、上杉謙信が七尾城を包囲した際に、6代・松波義親(まつなみ-よしちか)は、他の諸将が同じようにしたように、七尾城に籠っています。
しかし、七尾城の戦いで、七尾城が落城すると、密かに脱出して居城・松波城に戻って再起を図りました。
そこを、上杉勢の長沢光国が攻撃しており、松波義親は自刃して、松波城は落城しています。
長沢光国が城内に入ったところ、廊下などは掃き清められていたと言い、感嘆したと伝わります。
その後、城は焼き払われて破却されましたが、焼け残った搦手門は万福寺の山門に移築されたと伝わります。
長沢光国(ながさわ-みつくに)は、穴水城主となって、織田勢に対しました。
松波義親の正室だった烏丸家の娘は、のちに前田利家の正室・芳春院(まつ)の侍女になったようで、子供などは長氏や前田氏の家来として取り立てられたようです。
松波城庭園は見事な枯山水だったようですが、朝倉氏の一乗谷城庭園と同じように、あくまでも「遺構」のため、今でも立派な庭になっていると言う事ではありません。
旧松波駅の駅舎内に、松波城に関する展示資料もあるようです。
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松波城への行き方ですが、西側の国道249号「鵜島バスパス」から入っていける道があります。
途中、道路は荒れますが、大きくカーブを右に曲がって行くと、本丸部分で、広いので駐車場にもなっていますので、当方のオリジナル地図にてわかるようにしておきます。
ただし、舗装はされていません。
この日は、おりからの小雨で足元が悪かったため、散策は最小限にしました。
ここまで来たら、せっかくですので、軍艦島として知られる見附島もセットでどうぞ。
・七尾城 畠山義統と畠山義総 上杉謙信との七尾城の戦い
・穴水城 能登にある長氏の本拠地
・軍艦島 能登のシンボル見附島 観光攻略法 駐車場の場所など
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