和歌山県

紀伊・千丈山城 南朝を支援した野長瀬六郎ら野長瀬氏の繁栄地

紀伊・千丈山城

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紀伊・千丈山城は和歌山県田辺市中辺路町にある山城です。
熊野古道の中辺路にあたる近露王子の「近露」と言う山間の開けた地区にあります。
最初に調べましたら、千丈山城は、南北朝時代に野長瀬六郎なる武将が城主だったことがわかりました。
しかし、千丈山城に関しては何もわかりません。
これは、記事すらかけないボツ城がまた出てしまうかな?と悪い予感がよぎりましたが・・。
野長瀬氏に関しては、興味深いことがわかりましたので、今回も城と言うよりは収めていた武将の話を中心にしてご紹介させて頂きます。


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野長瀬六郎ですが、恥ずかしながら当然存じ上げず、最初は野長氏?と思いましたが違いました。
野長瀬氏(のながせ-し)が正しい姓名でした。

この野長瀬氏は、清和源氏の一族と言う名門でした。
源義家(八幡太郎義家)の4男・源義忠から河内源太経国(源経国)、そして稲沢小源太盛経(源盛経)を経て、源盛経の子・源経忠が初めて野長瀬孫太郎(野長瀬経忠)を称したようです。
山和国(大和国)・吉野の奥の領地に分家したとされます。
野長瀬と言う場所は、奈良県五條市大塔町辻堂付近との事でので、五條市から十津川方面にだいぶ入った山の中ですね。

野長瀬経忠の子・野長瀬頼忠(野長瀬庄司六郎)が、1229年に近露に移って近露庄司となり、近露・野長瀬氏の初代になったとされます。

野長瀬の一族は、太平記にその名がでてきます。

後醍醐天皇鎌倉幕府倒幕を掲げ、倒幕計画を日野俊基が進めます。
そして、1331年に挙兵すると、楠木正成が呼応しましたが、赤坂城の戦いに敗れ、大塔宮・護良親王は32名の供回りと、奥吉野の十津川へ向かいました。
そのとき、鎌倉方の軍勢500余騎に襲われましたが、あわやのところで野長瀬六郎、野長瀬七郎の兄弟が横から矢を入れて救ったとあります。
この戦功から、護良親王は野長瀬六郎に「横矢」と称するようにと姓名を授けたため、野長瀬氏は、横矢氏とも言います。
その野長瀬六郎の詰め城が、紀伊・千丈山城と言う事になるかと存じます。

千丈山城

なお、この援軍の際に、野長瀬六郎は赤旗三流(平家の旗)を用いたともされることから、源平合戦の際には、源氏の一族でありながら平氏方に味方した平家の落ち武者の末柄とも考えられます。

護良親王は野長瀬氏の協力によって勝利したことで、近隣の玉置山衆徒、大和の宇智、葛城の豪族らも味方し、十津川で約2年過ごしたあと、吉野での挙兵へと繋がっていくのでした。
以後、野長瀬氏の代々は南朝方に尽くします。
野長瀬盛忠の子・野長瀬盛満と野長瀬盛朝の父子や、野長瀬睦矩も南朝として戦いました。

なお、南北朝が統一されたあとも、野長瀬氏は、南朝最後の天皇である後亀山天皇の皇子らを支援しています。
自天王(尊秀王)が、南朝の再建を図ると赤松氏遺臣の石見太郎・丹生屋帯刀左衛門と四郎左衛門の兄弟などが、三種の神器のひとつである神璽(しんじ)を奪おうと味方するように装います。
1457年、赤松遺臣が神器奪回のため尊秀王を襲撃した際には、野長瀬盛高が尊雅王を保護して、奥吉野の山岳を逃げ回り、十津川の御座所に逃れさせたと言います。
しかし、潜伏先も赤松遺臣に襲われて、野長瀬盛高の弟・野長瀬盛実や楠木正理が討死し、尊雅王は深傷を負って亡くなり、神璽も奪われました。
これにより、南朝方の抵抗は終焉を迎えています。


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ただし、負け組とは言え、熊野の山奥なのが幸いしたのか、野長瀬一族は近露にて代々生き残っており、現代に続いたとされます。
室町時代には、紀伊・畠山氏の被官となりました。
畠山高政と三好長慶が争った教興寺の戦いにも、雑賀衆の土橋種興・鈴木重興、根来衆の津田算正、湯浅衆の湯浅宗政・保田知宗らと共に参じています。
豊臣秀吉の紀州征伐の際には、野長瀬盛秀(横矢盛秀、野長瀬左近丞盛秀)が紀伊の国人らと抵抗しました。
そのため、風伝峠で首を刎ねられた160名の紀伊の国人衆や熊野本宮神官らの中に、野長瀬盛秀の名も見受けられます。
野長瀬盛秀は、戦国シミュレーションゲーム「信長の野望」にも登場します。


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近露にある野長瀬一族の墓には、宝篋印塔6基と五輪塔が54基あり、その繁栄ぶりを伺えます。
この熊野の中辺路あたりは、現在では国道311号も走りやすい道路で、踏破を急ぎがちになります。
しかし、熊野古道は歴史の道でもありますので、このように貴重な史跡や歴史にも触れてみてはいかがでしょうか?

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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