信濃・戸石城(といしじょう)は、長野県上田市上野にある標高789m、比高は160mと大変堅固な山城で、別名を本城、伊勢崎城、別の書き方としては戸石城とも書きます。
真田の里紀行と称しまして、武田信玄の砥石崩れで有名な「砥石城」に行って参りましたので、数多くの写真と共にご紹介したいと存じます。
上記写真の左が米山城で、右が砥石城です。
戸石城は太郎山山系の峰の先端部にある枡形城、本城、砥石城、米山城の総称と言え、一番規模が大きいのは本城です。
しかし、下記の駐車場を利用する事で、その4城すべてを巡る事が可能です。
駐車場への行き方・アクセス・場所ですが、下記の地図ポイント地点に無料駐車場があり、バイオトイレも完備されています。
上記の駐車場から下記の道を進み右手に登って行きます。
すると下記のような「門」がすぐに見えてきます。
ただし、上記の門は「模擬門」だと思いますが、このような建造物が無いよりは、雰囲気が出て良いです。
登って行きますと、左手に米山城が見えます。
上記を抜けて行くと、間もなく峠(米山城と砥石城との分岐)に到達します。
駐車場から分岐までは10分くらいです。
米山城への登坂は、足元が細かい石で滑りやすいです。
そのため、ロープも張られています。
私はトレッキングポール持参ですので、大丈夫でしたが、ロープを掴む場合には「軍手」があると手が痛くならなくて良いかと思いますよ。
米山城
上記は米山城から見た砥石城です。
米山城の主郭に到着しました。
分岐から米山城へは約5分でした。
米山城は標高734m、比高は130m。
上田駅方面の展望も良いです。
案内表示も適所にありますので、わかりやすい山城です。
米山城から、もと来た坂を下って、分岐を通り越し、砥石城へと登って行きます。
下り坂は滑りやすいですので注意してください。
米山城(小宮山城)への登りもきつかったですが、砥石城へはもっと厳しかったです。
小生の山城攻略で指折りの厳しさです。
比高は200mで途中、7回くらいは休みながら登って行きました。
日頃、怠けている身体には大変こたえましたが、いい運動になります。
でも、トレッキングポールがあるお蔭で、少しはラクに登れます。
しかし、甲冑や槍を持って登るのを考えると、それは大変だったと思いますので、武田勢が攻略に苦慮したのが良くわかります。
靴も「わらじ」ですからね。
砥石城
砥石城到着です。
米山城から約10分でした。村上義清の碑が建っています。
砥石城は789mの最高標高ですが、主郭は思っていたより狭いです。米山城よりも狭いです。
ここの人員だけで、武田勢を撃退すると言う事は無理でしょう。
村上義清の時代から、米山城、本城、枡形城を組み合わせて、総合的に防衛した際に、もっとも急峻で上田に突き出ている「砥石城」が代表格となって、後世にその名が残ったと考えます。
しかし、展望は良いですね。
城が機能していた時は、木も伐採していたでしょうから、もっと良く見えたはずです。
上記写真は、砥石城の主郭を、1段下がった本城側から見たものです。
1549年には砥石崩れで敗れた武田信玄でしたが、このとき、村上義清は約1ヶ月籠城しています。
包囲していた武田勢は、砥石城の水も無くなって落城すると予測していたようです。
そんな時、出丸のお米山の米蔵にあったたくさんの白米を桶に入れて、馬の背中を洗ってみせたと言います。
それを見た武田勢は「馬を洗うほど水とコメがある」と言う事で、退却をはじめところを、村上義清は撃って出たため「武田の砥石崩れ」となり、横田高松をはじめおよそ1200人が討ち取られると言う、武田信玄最大の負け戦となりました。
しかし、1551年、真田幸隆の調略により、簡単にたった1日で落城しています。
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上田城の築城が開始されると、支城として砥石城も引き続き機能しました。
1583年の上田城の戦いでも、真田信繁(真田幸村)が300にて籠城したとされています。
1600年、関ヶ原の戦いの際には、戸石城を攻めた真田信幸(真田信之)に、真田昌幸はわざと簡単に砥石城を占拠させて、軍功を挙げさせ、上田城での決戦で父子対決にならないよう取り計りました。
そして、徳川秀忠が上田城攻めの第二次上田城の戦いで、大損害を受け、関ヶ原の戦いに遅参するという大失態になったのです。
ここで1回案内板にあった登山地図の写真をご紹介します。
砥石城や米山城への登り口はいくつかあります。
ここまでは、写真にある現在地の駐車場から分岐まで行き、米山城まで行って戻って、砥石城に至る行程をご紹介致しました。
砥石城(本城)への大手口は下記の地図ポイント地点です。
ただし、大手の方は駐車場はなく、道路も狭いですので、このページの最初に紹介した駐車場に止めて行くしかありません。
無料駐車場から大手の登山口まで徒歩15分といったところです。
と、まぁ、偉そうなことを書いていますが、地元の登城者さんに教えて頂けなかったら、知らずに帰っていたと思います。
大手では上記のような砥石城の城下町を抜けていきます。
その先には砥石城の根小屋と想定されている内小屋跡があります。
城代の館があったのかも知れませんね。
途中には、1601年に真田信之が5貫文寄進したとされる陽秦寺があります。
海野氏の菩提寺です。
海野家の菩提寺があると言う事は、もともと砥石城も海野氏が築城したのかも知れませんね。
上記が大手の登山口です。
城郭の「大手」と言うのは、城の正面、すなわち主要な玄関と言う意味です。良く「大手門」なんて言います。
砥石城の大手と言うよりは、本城へ繋がる大手と言えます。
つづら折りの道が続きますが、階段は無かったように記憶していますので、米山城との分岐から登って行くよりは、断然楽です。
大手の登山口から、本城まで登り20分~30分程度です。
本城
砥石城まで来ましたら、峰続きになっている本城と枡形城もついでに見ないと、もったいないです。
でも、ご安心ください。
砥石城・本城・枡形城までは峰続きで、高低差もそんなになく、砥石城から枡形城まで約15分と近距離です。
本城は、砥石城群で、もっとも平坦地が広い区画です。
写真のような石垣も残っています。
上記が本城の主郭です。
広いですね。
砥石城からは5分位でした。
枡方城も目と鼻の先です。
途中には空堀跡もありました。
「矢竹」です。竹が生えているのわかりますかね?
弓矢に使う為に、竹を植えたと推測できると説明がありました。
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枡形城
この先が枡形城となります。
ちょっとだけ登りますが、そんなに苦になりません。
枡形城到着です。
展望も良く、遠くは松尾古城や真田本城も望めます。
所要時間や登山行程地図、駐車場情報などは、最初の「砥石城のページ」をご覧願います。
どうぞ、お気をつけてご登城くださりますと幸いです。
下記はおまけです。
上記の写真は、武田信玄が砥石城攻めを行う際に、本陣を構えたと推定されている伊勢山と言う丘を、砥石城側から撮影したものです。
これらの砥石城群を見学する場合の私のお勧めとしては、この大手から登って、先に本城・枡形城を見て戻って、本城から砥石城、そして急な階段を米山城方面に降りて、そのまま直進し米山城へ登って、戻って、米山城と砥石城の分岐から、駐車場へ下って行く方法です。
この方法で全行程の所要時間(見学必要時間)は80分~90分程度だと思います。
夏は暑いですので、水分補給と虫除け・日焼け止め、そしてトレッキングポールの準備を忘れずに。
滑りやすい、細かな石が露出しているところもありますので、トレッキングポールは必需品と言えますよ。
私が愛用しているのは下記の最少46cmと携帯に便利なものです。
あと、クマさんも出たと言う情報もあると言う事ですので、ご心配な方はクマ除け鈴もご持参下さい。
私は必ず鈴も持参しています。
その他、真田の里を観光する際のヒントにご活用賜りますと幸いです。
・真田の里紀行はこちら
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