出羽・紫島城(むらさきしまじょう)は、秋田県大仙市長野にある平城です。
最初の築城は江戸時代の初期で、1602年とされます。
ただし、戦国時代から、戸沢氏に従っていた長野氏の館があったともされます。
佐竹氏が常陸から秋田の久保田城に移封になった際に、佐竹義廉(さたけ-よしかど)が築城して居城としました。
スポンサーリンク
この佐竹又七郎義廉(佐竹北家6代目)は、常陸・久米城主・佐竹義信の次男だった、同名の佐竹義廉(佐竹北家3代目)とはまた違う佐竹一門になります。
佐竹義斯の嫡男・佐竹義憲が30歳で1599年に死去すると、その嫡男であった佐竹義廉が継ぎました。
佐竹義廉は、1614年、大坂冬の陣で出陣した際に、途中の遠江・掛川にて急死しています。
その後、佐竹義重の6男で、3歳の申若丸が養子になって、のち佐竹義直と称し佐竹北家を継いでいますが、1621年に、本家に戻っています。
紫島城は1623年に廃城となり、佐竹北家は1628年から佐竹義隣が継ぎ、断絶した蘆名氏に代わり1656年から角館城3600石にて続きました。
秋田県知事の佐竹敬久氏は、佐竹北家のご子孫です。
出羽・紫島城はそれなりに広かったようですが、現在、農耕地になっており、全容は不明です。
大阪にも、摂津・柴島城がありますので、混同しないよう注意が必要です。
出羽・紫島城へのアクセスですが駐車場はありません。
ただし、道路は駐車禁止になっていないところが多いですので、通行の妨げにならなければ路上駐車は可能です。
城址の柱がある場所は、当方のオリジナル地図でもわかるようにしてあります。
しかし、この紫島城付近の国道105号「角館街道」は、角館から羽後長野の間、ガソリンスタンドがたくさんありました。
燃料給油するのには、競争も激しく少し安いので、お得です。
・角館武家屋敷 素敵な町並みが広々とした通り広がる観光スポット
・出羽・久保田城 御隅櫓と表門が復元
・角館城 6歳で家督を継いだ戸沢道盛の復活劇
・日本全国のお城のある場所がわかるオリジナル地図
この記事へのコメントはありません。