最初の築城者や築城時期は不明ですが、南朝の本拠地となった吉野城(金峯山城)へと通じる谷からの搦め手の入口を守備する山城になっています。
東西に長い山頂部の東側に本丸があり、曲輪は三段に分かれていると言います。
丹治塁の北側には主郭の曲輪を守る帯曲輪があり、井戸跡もあるようです。
なお、伝承では、尾根伝いに本陣があった蔵王堂まで行けるようになっていたと言います。
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なお、丹治城の他にも、吉野の山を守る支城があります。
吉野川南岸に六田城・飯貝城・一之坂城など点在しています。
南北朝時代のあとにも、丹治城は使用されていたようですが、詳しい事は不明です。
交通アクセスとしては、近鉄・吉野線の吉野神宮駅から徒歩約10分となります。
丹治地区公民館の無料駐車場が利用可能です。
その駐車場の奥から、金龍寺山門の右脇にある狭い通路を入っていくと、丹治城への登城口があるそうです。
道案内に従って寺の塀に沿って背後の山へと登っていき、山頂の城跡まで約15分といったところです。
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