新潟県

村上城(本庄城) ただならぬ立派な山城である続日本100名城

村上城(本庄城)

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越後・村上城とは

村上城(むらかみじょう)は、新潟県村上市にある山城で、別名は舞鶴城(まいづるじょう)、本庄城(ほんじょうじょう)とも言います。
村上市街地の東にそびえる標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれており、国の史跡、続日本100名城にもなっています。
比高は125mほどだと言いますので、平山城ではなく、立派な山城として表現させて頂いております。

越後の本庄氏は、武蔵七党・秩父党が出自で、鎌倉時代の1206年頃、越後小泉庄の本庄・加納の両所を地頭請所し、平季長(秩父季長)の子・秩父行長と次子・秩父為長が、それぞれ本庄と加納の地頭となったのが始まりです。

その秩父行長の子孫が、やがて本庄氏ほ称し、秩父為長の系統は、越後小泉庄色部条の地頭となって色部氏(いろべ-し)を称しました。
鎌倉幕府が滅ぶと、色部長倫が本庄持長を攻めて主家を滅ぼしたともされますが、よくわかっていません。


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戦国時代に入ると、越後守護代の長尾為景が台頭し、本庄時長・色部昌長・竹復清綱ら揚北衆(あがきた-しゅう)は、反抗の兵を上げます。
長尾勢の中条藤資安田長秀らは、本庄城へ押し寄せて、猛攻を加えると本庄城は陥落しました。
本庄時長の嫡男・本庄弥次郎が討死しています。
しかし、色部氏のみは徹底抗戦を続け、関東管領の上杉顕定に救援を求めています。
このように、越後では戦乱続きで、小川長資が兄・本庄房長の留守に乗じて本庄城を乗っ取ったり、色々なことが起こったようです。

その、本庄房長が、恐らくは、本庄城の詰の城であった村上城を改修・整備した模様です。
今回、訪問した際に、村上城(本庄城)の全景(遠景)を撮影したかったのですが、この山城の周りは昔からの住宅街がギッシリでして、建物が入ってしまい、なかなか良いアングルで撮影できません。
ほぼ一周してようやく、少し開けて撮影できた状態で下記のとおりです。

村上城(本庄城)

本庄家を復興させ上杉謙信のもと活躍した本庄繁長は、1568年(永禄11年)武田信玄と結んで、上杉謙信に反旗を翻します。
そのため、上杉勢に攻められて、岩船、猿沢、大場沢、笹平、大栗田などで戦火を交えました。
村上城の城下も戦場となり、1569年(永禄12年)には両軍が激突する大規模な「飯野が原の戦い」となります。
本庄繁長は村上城を強固に守ったため、上杉勢は下渡城などに入って約6ヶ月の対陣となりました。
しかし、武田信玄が越後へ向かう兆しもなく、伊達輝宗と葦名盛氏の仲介を受けて降伏し、本庄繁長は上杉謙信に従っています。

のち、出兵が私闘を禁じる豊臣秀吉の勘気に触れると、本庄繁長は所領没収となり、村上城は直江兼続の実弟・大国実頼(おおくに-さねより)に託されました。
城代として春日元忠が村上城に入っています。

村上城(本庄城)

1598年、上杉景勝が会津に移されると、村上頼勝加賀・小松城から入って、村上城の大改修を始めました。
このとき、地名が本庄から村上に変わったとする説もあります。

1618年(元和4年)には、越後・長岡藩から堀直竒が入って、石垣を築くなど、さらに村上城の近世城郭にしました。
現在は戦国時代に築かれた竪堀や虎口などの遺構と、江戸時代に築かれた石垣が残っていると言います。

村上城(本庄城)

総石垣造りの城が新潟にもあるのは、大変失礼ながら驚きです。

麓から山頂の本丸跡までは、七曲りと呼ばれる徒歩約20分の、ちょっとした登山となりますが、傾斜はそんなにキツくは無いようです。
本丸からは、日本海、三面川、越後山脈など一望でき、素晴らしい眺望があると言いますが、今回は時間の関係で登城は断念致しました。


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1598年(慶長3年)頃に、村上頼勝が建てた3重3階の独立式望楼型もあったようです。
その後、江戸時代の1649年(慶安2年)に松平直矩が天守を建て直しましたが、1667年(寛文7年)に落雷で焼失し、財政難により再建されることはありませんでした。

幕末の戊辰戦争では、村上藩内では佐幕派と新政府派との対立が起こり、残っていた建物もすべて焼失しました。

村上城への行き方

村上城(本庄城)への交通アクセスですが、JR羽越本線、村上駅下車の徒歩約30分となります。
マイカー利用の場合には、保存会さんの建物左側に数台の無料駐車場がありました。
ただし、そこに行くまでの間も、住宅街でして、道は狭めです。
地図をよく見て行く必要性があります。

なお、ワタナベさま(個人の方)が「村上城」をCGにて再現しておられるサイトが有り、必見です。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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