かつて越後の中心地であり、府中または府内と呼ばれていた直江津(上越市)の湿地帯に囲まれた関川の自然堤防上に御館があったようです。
越後・御館(おたて)は、御館の乱の中心舞台でしたが、遺構は残っていませんが、越後では最大規模、全国でも屈指の大きい城館とされます。
少し離れたところにある、越後守護上杉氏の館「至徳寺館」と、この関東管領上杉憲政の館「御館」(おたて)の2つで、上杉館(うえすぎやかた)とも言います。
御館の築城年は不明ですが、弘治年間(1555年~1558年)に上杉謙信が館を建てたとも言われています。
これは、天文21年(1552年)に、平井城主だった関東管領・上杉憲政が、越後に逃れてきたため、春日山城・上杉謙信が住まいとして築造したのが、御館とする説になります。
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なお、上杉謙信自身も、政庁として使用したともされます。
1578年に、上杉謙信が死去すると、上杉景勝と上杉景虎の2人の養子が、跡目を争い「御館の乱」の主戦場のひとつになりました。
明治初期までは堀跡や土塁跡が残っていたそうですが、国鉄(JR)の鉄道敷設などで失われ、現在は宅地となっており、遺構は消滅しています。
僅かに、主郭の一部分が「御館公園」として整備されています。
発掘調査では、東西120m、南北150m程の規模だったようで、5つの郭で構成され、主郭の周りは二重の堀があり、複郭となってい模様です。
なお、御館の乱にて焼失したため、建物などは再建されなかったと考えられます。
交通アクセスですが、JR北陸本線・えちごトキめき鉄道の妙高はねうまライン・日本海ひすいラインの直江津駅から徒歩約10分となります。
繰り返します。
歴史的には非常にターニングポイントにもなる、意味がある場所なのですが、何も残っておりません。
御館公園がある住所は、新潟県上越市五智1-23−11となります。
当方の東北・新潟オリジナル地図もご覧頂けますと幸いです。
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