忍城(おしじょう)は、埼玉県行田市にある平城で、別名は浮き城、亀城とも呼ばれますが、関東七名城のひとつにもなっています。
武蔵・忍城は、もともと「忍氏」の居城でしたが、1478年(文明10年)頃に、熊谷市上之の上城主・成田正等と成田顕泰が扇谷上杉家の忍大丞を滅ぼし、ここに忍城を築城したと言われています。
成田氏は、横山党の横山資孝の子・横山成任が、成田成任と称したのが始まりとされます。
翌年の1479年には扇谷上杉家から反撃を受けましたが、太田道灌の仲介で和睦し、成田家は忍城を本拠としました。
映画・のぼうの城でも登場した、忍城をこれまで3回訪れたことがありまして、続日本100名城も選ばれた忍城の記録をまとめてみます。
忍城とは
忍城は湿地帯を利用してつくられた平城で、付近は沼の中に島のような陸地が点在しており、その沼をそのまま生かすかたちで城が築かれました。
現在、本丸に建つ建物は、忍城御三階櫓で、鉄筋コンクリートで展望台もある資料館となっています。
付近に無料駐車場もあります。
御三階櫓は、江戸時代の1701年に、幕府の老中・阿部忠秋が10万石で忍藩主となった際に、層塔型3重3階で建造されたもので、1988年に模擬・復興再建したものとなります。
忍城の外堀の沼は、現在「しのぶ池」として、水城公園(すいじょうこうえん)となっています。
無料駐車場も付近にありますので、気軽に散策も可能です。
なお、忍城では「忍城おもてなし甲冑隊」の皆様による素晴らしい演舞などが行われます。
演舞は無料で見れますが、事前にスケジュールをご確認願います。
下記は動画ですので、より雰囲気がわかると思います。
観光所要時間は、忍城だけの場合は40分。
水城公園にも行く場合には、80分は必要です。
忍城への行き方・アクセスですが、下記の地図ポイント地点が駐車場となります。
なお、忍藩では、江戸時代後期から足袋(じかたび)が盛んに生産されました。
佐間口・高源寺
高源寺は、成田家の家老・正木利英(正木丹波守)が、豊臣方、成田方双方の戦死者を弔うために、1590年の忍城降伏後に、佐間口付近に高源寺を建立したものです。
下記の写真は正木丹波守の供養塔です。
高源寺の駐車場の場所は、下記の地図ポイント地点です。
丸墓山古墳
上杉謙信が忍城攻めをした際や、石田三成が忍城水攻めした際、攻め手が「本陣」を置いたのが、丸墓山古墳の頂上です。
真田昌幸・真田幸村も、なかなか落ちない忍城に遣わされましたので、この丸墓山古墳の上から忍城を眺めたことでしょう。
丸墓山古墳(まるはかやまこふん)は、直径105m、高さ18.9mの円墳で、円墳の規模としては日本最大です。
麓から一気に頂上まで登ると、結構、息が切れます。下記写真は頂上から忍城方面を撮影したパノラマ写真です。
付近には、稲荷山古墳、二子山古墳、将軍山古墳などが9基の大型古墳が点在する国指定史跡・埼玉古墳群となっています。
石田三成は、丸墓山を含む半円形の石田堤を長さ28kmほど造り、忍城水攻めで攻撃しました。
現在、丸墓山から南に真っ直ぐ伸びている道路は、この石田三成が水攻めした堤の名残となっています。
丸墓山古墳の近くには大きな無料駐車場もあり、公園として整備されています。
将軍山古墳は、将軍山古墳展示館となっており、実際に古墳内部の石室が見学できるようになっています。有料拝観(大人200円)ですが、拝観料は、資料館「さきたま史跡の博物館」と共通なので、200円で両方見学できます。
丸墓山古墳の駐車場はとても広くて無料です。
下記の地図ポイント地点から入れます。
観光所要時間は60分以上必要です。
石田堤
忍城水攻めの際の堤防は、丸墓山古墳の場所以外にも現存します。
上越新幹線の線路脇となる、行田市堤根地区から鴻巣市袋地区にかけて、約250mが残存しており、一部を保存して石田堤史跡公園として整備されています。
無料駐車場は下記の地図ポイント地点です。
観光所要時間は20分。
上杉家、北条家との戦いにも落城しなかった忍城。
そして、石田三成の水攻めにも耐えた名城です。
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