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甲斐・琵琶城のちょこっと解説~武田一族・倉科信広

甲斐・琵琶城

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甲斐・琵琶城とは

甲斐・琵琶城(びわ-じょう)は、山梨県山梨市牧丘町倉科にある平山城(丘城)。
西側に鼓川が流れ、その谷筋の上部にある感じのため、西側は防御が期待できるが3方向は弱そうだ。
ただし、南の県道204号の崖上まで城跡の領域だった場合には、崖端城と言えなかなかの防御性はあったものと推測できる。
現在は民家や果樹園であり遺構は確認できない。

甲斐・琵琶城

最初の築城は不明だが、室町時代の応永年間(1394年~1428年)に倉科信広が築いたとされる。
倉科信広(くらしな-のぶひろ)(倉科治部少輔信広)は、第13代甲斐源氏である武田信満の子だが庶子だったようで、甲斐・倉科氏に養子として入ったようだ。
兄弟に武田信重、武田信長(上総武田氏の祖)、江草信泰(江草信康)、宗印(僧侶)、今井信景らがいる。

なお、倉科信広から4世の孫である古屋満忠(倉科信則の次男)は、武田信虎の家臣として活躍。
古屋満忠の子・小原満長が甲斐国東山梨郡小原村に入り小原氏を称している。
小原広勝は、武田勝頼に従い天目山の戦いで討死した。


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1582年3月、武田滅亡後の甲斐・倉科氏や小原氏は、天正壬午の乱にて相模・北条氏に味方したため、徳川家康に敗れ滅亡している。
天正壬午の乱において旧領回復を狙い徳川家康の家臣になっていた小笠原貞慶を頼った倉科氏は、松本城下にて問屋・本陣・大名主となったと言う。

そして、徳川家臣の内藤信成(内藤三左衛門信成)が、中牧城に入った。

交通アクセス

甲斐・琵琶城への行き方・交通アクセスだが、JR中央本線・塩山駅から山梨交通バスにて、窪平バス停下車し、徒歩2.2km(約35分)。
駐車場などは見つからなかった。
場所は当方のオリジナル地図にてポイントしている。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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