三重県

伊勢・三瀬砦の解説~北畠具教を守った三瀬左京祐の居城

伊勢・三瀬砦

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伊勢・三瀬砦

伊勢・三瀬砦(みせとりで)は三重県多気郡大台町下三瀬にある平城(崖端城)。
別名は下三瀬城、三瀬左京館。
宮川と支流の大谷川が合流する標高82mの場所で旧熊野街道の抑えだ。
西と南は渓谷となっているため崖端城とも言えるが東・北とは平地で結ばれるため平城とも言える。
その東北側は防御が弱いため、高い土塁が現存しており素晴らしい。

三瀬砦

最初の築城は戦国時代と推測され、永禄年間(1558年〜1570年)に北畠具教の家臣・三瀬左京が築いたとされる
1569年(永禄12年)織田信長が伊勢侵攻すると、三瀬左京は北畠具教に従い伊勢・大河内城にて抵抗した。


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天正4年(1576年)、近くにある伊勢・三瀬館にて北畠具教を殺害した武将に長野左京進(長野左京亮)・滝川雄利・柘植保重がいる。(三瀬の変)
この長野左京進(ながのさきょうのすけ)と三瀬左京は同一人物とする説もあるようだ。

伊勢・三瀬砦

ただし、伊勢・長野氏は曾我兄弟に殺害された工藤祐経の子である長野工藤氏(工藤祐長)の庶流と考えられる。
となると、本拠(宗家)の長野藤定は伊勢・長野城主であるため、長野左京進(長野左京亮)が三瀬砦を与えられたとは少し考えにくい。
そもそも北畠の家臣には加留左京進など「左京」と言う武将がいく人も見られるので、同じ左京だからと同一人物にするのは早計に感じる。


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土塁の横に駐車スペースと水道設備があるがトレイはない。
近くの慶雲寺は三瀬氏の菩提寺で、三瀬左京祐の位牌や木像があるようだ。

交通アクセス

JR紀勢本線の三瀬谷駅から徒歩約25分。
入口を見落としやすいが、入口に小さな案内板があり農道のような先に広い駐車スペースがある。

伊勢・三瀬砦

駐車場の入口は当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

もちろん、三瀬館とセットでどうぞ。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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