群馬県

千石墻の砦~今井兼平の伝承がある上野村の堅固な山城

千石墻の砦

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千石墻の砦

千石墻の砦 は、群馬県多野郡上野村新羽にある標高610m、川からだと比高160mと堅固な山城で、別名は広瀬の砦、上孫の城とも言う。
写真ではわかりにくいが、ちょっとした岩肌が露出しており、見るだけで堅固そうな城なので「砦」と言う文字が使われたのだろう。
伝承によると今井兼平の城だったともあるが、これは完全に伝承と考えられ、今井兼平の子孫の城と言う表現であれば可能性はある。

千石墻の砦

今井兼平(いまい-かねひら)は、平安時代末期の武将で、樋口兼光の弟。
信濃国今井を領して今井を称し、木曽義仲が挙兵した際には側近として活躍した。

この今井兼平が築城したとする城郭(砦)は各地にある。
武蔵・今井城(赤坂)、武蔵・今井城(横浜市)、新潟の今井城、津南の今井城、富山の白鳥城、福井の今井城など。

今井四郎兼平が落ち延びて定住したのが始まりと伝わる。
ただし、今井兼平の遺児が、郎党と乳母に付き添われて上野村にたどり着いて定住すると、乳母が乙母へ、郎党は乙父(おっち)に土着したともあるので、こちらが正解に近いのだろう。
平家落人の里ではないが、逃れて静かに暮らすのには良い所だ。
上野・諸城も今井氏が城主だったとされ、上野村乙父・上野村乙母に住む人々は今井姓が多いと言う。

上野村乙母にある今井家旅館は、日航ジャンボ機墜落時に朝日新聞社の取材基地となった。
旅館の館内に先祖伝来とされる甲冑も展示されているようだ。
古文書などもあるようなので研究が進むと新たな事がわかるのではと期待もする。

ハッキリしている部分では、今井兼平の次男・今井兼之が渋川の箱田城に逃れているので、関係があるのかも知れない。


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今回は尾附城のついでに遠景写真だけ撮影した。
ヴィラせせらぎさんと言う宿泊施設の駐車場の国道よりに案内板があり、その案内板の後ろ側から遊歩道が伸びている。

尾附城と千石墻の砦の案内板

遊歩道は神流川にかかる橋(新要橋)の下を抜けて行くようだ。
千石墻の砦の近くに鉄塔があるので、そのメンテナンスの山道としても使われている模様。
ヴィラせせらぎさんの駐車場を拝借する場合には、ひとこと、断りを入れて欲しいと願う。(当方は道路に短時間だけ止めた)

交通アクセス

千石墻の砦の場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
国道299号は比較的交通量も少なく走行しやすいが、カーブもあるので注意願いたい。

上野・諸城 (上野村) ちょこっと解説~今井氏の居城(今井兼平の子孫?)
尾附城の歴史解説~朝春播磨守が守備?山中衆・高橋氏の居城


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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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