綾城(あやじょう)は宮崎県綾町の山城で別名は竜尾城と言います。
標高は132m、比高は40mですので、山城と言うよりは平山城の分類するのが適切かも知れません。
綾城は綾北川と本庄川の間にある段丘の東端にあります。
最初の築城は1331年~1334年頃、足利尊氏の家臣・細川義門(細川小四郎義門)とされますので、管領・細川家の一族が治めたと言うことになるでしょう。
その子である細川義遠が、収納使として綾を領有し内屋敷城に入ります。
上記と下記が日向・内屋敷城跡となりますが、遺構はあまりないようです。
そして、詰城として山城の綾城を構え、細川義遠は綾氏を称したと考えられています。
その後、綾義勝、綾義廉、綾義郷、綾義佐、綾義範、綾義継、綾義義と続き、室町時代に綾氏(細川氏)は、日向の豪族・伊東氏の家臣に加わりました。
更に戦国時代に入ると、日向の戦国大名となった伊東義祐・伊東義益が、伊藤氏の最大版図を築きますが、綾城は「伊東四十八城」にも数えられる重要な城になっています。
下記は、綾城の資料館にあった、伊東義祐です。
戦国期の綾城主としては、長倉若狭守、稲津越前守、佐土原遠江守などが見られます。
下記も、綾城の資料館にあった、佐土原遠江守です。
伊東尹祐と綾の乱
伊東尹祐(いとう-ただすけ)は日向伊東氏の8代当主で都於郡城主となります。
1503年には、青島神社を再建しています。
1504年には北郷数久の都之城まで攻めるなど、島津家に対して反撃しました。
そんな中、1510年(永正7年)に発生した「綾の乱」についても触れておきたいと存じます。
この伊東尹祐の正室は、阿蘇惟乗の娘でしたが、長女(新納忠勝の正室)、次女(島津忠治の正室)、三女(相良長祇の正室)、四女(北原氏夫人)と、伊東尹祐が37歳になっても娘しか生まれませんでした。
しかし、1505年、美しい側室・桐壺(中村氏の娘・川崎氏の娘)との間に男子が生まれます。
その男子の名は不詳ですが、ようやく嫡男に恵まれたのです。
ところが、5年後、家臣の垂水又六と結婚していた、福永祐炳の娘の美貌に惚れて、自分の側室にします。
福永祐炳と言う家臣は身分も低い家来でしたが、垂水又六には河崎氏の息女を娶らせて、福永祐炳の娘と離縁させ伊東尹祐は側室にしました。
そして、寵愛した美しい側室・福永祐炳の娘が、1510年に懐妊します。
すると、伊東尹祐は、側室・中村氏の娘との間に生まれていた男子を廃嫡しようと考えたのです。
この判断に対して「天に二日なく、国に二君はない」と、綾の地頭で、伊東家の家老でもある長倉祐正(長倉若狭守祐正)や、垂水但馬守が反発します。
その行動に対して、綾の地頭職が欲しかった稲津重頼(稲津越前守重頼)の讒言もあり、身の危険を感じた長倉祐正らは9月1日に綾城にて籠城し「綾の乱」となります。
その乱の最中である1510年9月13日に、福永祐炳の娘が伊東祐充(いとう-すけみつ)を産み、伊東尹祐は後継者と定めたのです。
そして、10月17日、綾城の長倉祐正(長倉若狭守祐正)と、垂水但馬守は切腹して果て、伊東家の混乱と危機を脱しました。
なお、廃嫡となった桐壺の子は、権勢を手に入れようとした福永祐炳の策略により、福永氏の養子となり、後に伊東尹祐の弟・伊東武蔵守祐武の養子になっています。
その後、1523年、野々美谷城を攻撃し落城させた伊東尹祐ですが、その陣中にて没します。享年56。
そして、子の伊東祐充があとを継ぎますが、まだ幼かったため、外戚の福永祐炳や福永一族が伊東家中で専権を振るうようになったのでした。
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その後、島津家は勢力を伸ばし、1577年「伊藤崩れ」によって伊東氏は日向を終われ、薩摩の島津氏に滅ぼされます。
島津家の支配となると、新納久時、上井秀秋、蒲生清宣、本田新平、新納久時、大野将監が綾城主になっています。
江戸時代に入り一国一城令となると、例外なく綾城も廃城になったようです。
さて、現在の日向・綾城は有料拝観となります。
無料駐車場から昔の堀切であろう道路のうえに掛かっている橋を渡っていきます。
入口で入場料を支払い中に進んでいくと下記のような立派な門もありました。
そして、一番最奥部へと足をすすめると、また堀切があって橋がかかっており、その先が本丸となっているようです。
1985年(昭和60年)、時代考証に基いて、日本ではじめて中世城の初期天守の建造物が設置されました。
綾町産の木材を使って建てられている山城を再現しています。
城内は歴史資料館として綾の歴史が展示されており、有料拝観可能です。
日向・綾城への交通アクセスですが、JR南宮崎駅から徒歩5分の場所にある、宮交バス「宮交シティバスセンター」から宮交バス綾行きに乗車して約1時間、綾待合所バス停下車して徒歩15分となります。
クルマの場合には無料駐車場が整備されています。
また、隣接して、町内の工芸作家の作品を展示販売する綾クラフトの城がありますので、時間がある方はどうぞ。
・伊東義祐~日向から南九州の覇権を争うも伊東崩れで没落
・都於郡城~伊東家の本拠として素晴らしい大規模な山城
・青島神社~鬼の洗濯岩に囲まれた歴史ある南国風の聖地
・野々美谷城~伊東尹祐が野々美谷城の戦いにて陣中で没する
・都之城とは~都城を守りきった名将「北郷忠相」
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