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小矢部城の解説~三浦一族である矢部義郷などが城主か?

小矢部城

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小矢部城とは

小矢部城(こやべ-じょう)は、神奈川県横須賀市小矢部にある平山城です。
もうひとつ、大矢部城と言う城跡も南側にありますが、この記事では、小矢部城をご紹介します。
しかし、トップ写真のとおり、住宅街となっており、目立った遺構はないようです。


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城山マンション、ホーユウパレス衣笠公園(マンションの名称)の2棟が、城址半分くらいに建設さけているため、かつての遺構など見当たらないようです。
マンションに入ると、向こう側にある、小矢部城が、よく見えそうでしたが、ここは、グッとこらえて、不法侵入にならないよう、道路から、チラ見させて頂きました。(結局は、よく見えずじまい)

小矢部城

山の南側に当たる、小矢部一丁目公園の場所は、谷戸地形のようになっています。
そのため、平時の屋敷は、隠れ家的な、この小矢部一丁目公園の場所にあったのかな?と言う印象を受けました。

最初の築城は全く不明ですが、鎌倉時代の三浦一族である和田義盛の家来が小矢部城主だったともされますが、確証は無いようです。
鎌倉時代相模国三浦郡矢部郷(神奈川県横須賀市大矢部・小矢部)と言うことになりますが、平安時代には鎌倉郡山内荘の範囲だったと考えられます。
すなわち、三浦党の出身である鎌倉党の勢力下だったと推測できます。
そして、鎌倉党(鎌倉氏)の祖である平忠通の子にあたる、三浦為通(村岡為通)が、三浦氏となりました。
その後、三浦義明の弟・津久井義行(津久井次郎義行)が、康平年間(1058年~1064年)に衣笠城を築いたとされます。
その津久井義行の子・津久井為行が、矢部郷を領して矢部為行(矢部太郎為行)と称しました。
こうして、矢部郷に矢部舘を構えたものと推測されますが、前述のとおり、大矢部城と小矢部城と、2箇所あり、どちらが最初なのかは不明です。
現地を実際に訪問して、推測致しますと、大矢部城のほうが防御性に優れていることから、最初は谷戸もある、この小矢部城のほうが、古いように感じます。


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矢部為行には、3人の息子がいたとされ、長男から矢部義郷、二宮義国、平塚為高ともされます。

なお、横浜市戸塚区にある武蔵・谷部郷(矢部郷)も、津久井義行の子・矢部為行(谷部太郎、矢部庄司為行)の領地だったともされます。
このことからも、衣笠の矢部郷は、三浦氏の宗家の領地にと変わり、矢部為行(矢部太郎為行)は、隠居したのか?、横浜市戸塚区の領地に移って武蔵・谷部郷(矢部郷)が成立したのかな?という、印象を持ちました。
名前からして、長男と考えられる矢部義郷が矢部氏を継いだと考えられますが、矢部義郷に関しては、桑原義郷と言う名もみられます。
そのため、矢部義郷は、桑原義郷となって、相模国足柄下郡桑原郷(小田原市)の桑原に、移ったとも考えられます。
何しろ、衣笠城と矢部郷は、すぐ隣とも言えますので、平安時代末期、三浦氏の本貫地と言っても過言ではありません。
三浦義澄は、若い頃、矢部二郎とも称していますので、矢部郷は、衣笠城を拠点とした三浦氏の本拠地へと、推移したのでしょう。


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いずれにせよ、小矢部城に関しては、よく分からないといったところです。
使われたとしても、平安時代末期の短い期間だったのかも知れません。

交通アクセス

小矢部城への行き方ですが、電車・バスの場合、京急横須賀中央駅から、長井方面行バス「三崎口駅行」「長井行」他に乗車して所要15分、衣笠山公園バス停下車して、坂道を登る事徒歩5分となります。


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横須賀はほんと、駐車場がないので、城攻めも、苦労致します。
今回は、平日に訪問し、買い物がてら、近くのスーパー・エイビイ衣笠店の駐車場を、買い物がてら、利用させて頂きました。
トイレもあり、助かりました。

小矢部城にて、撮影した場所などは、当方のオリジナル関東地図にてポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

衣笠には、満昌寺に三浦義明廟所(三浦義明の墓)、薬王寺旧跡には三浦義澄公墳墓、清雲寺には三浦氏三代の廟所腹切り松公園もありますので、お時間が許せば、セットでどうぞ。

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日本の城跡「場所」がわかるオリジナル地図


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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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