丹花城 (たんか-じょう) は、 広島県尾道市長江にある平山城で、現在は福善寺が建っています。
尾道は、備後最大の荘園「大田庄」で、橘氏が開発領主でした。
鎌倉後期には瀬戸内海屈指の港町として繁栄しています。
丹花城の最初の築城は不明ですが、関東で平将門の乱があったころ、西国では伊予掾の藤原純友が、承平天慶の乱(じょうへいてんぎょうのらん)を起こし、朝廷に反逆します。
藤原純友は、瀬戸内の海賊を鎮圧する任務でしたが、逆にその海賊を率いて、大宰府などを攻撃しました。
この瀬戸内の海賊衆に「尾道六郎」なる武将が加わっていたとされます。
その尾道六郎の館があったのが、丹花城ともされるようです。
ただし、尾道六郎は実在しない架空の人物だった (別の名前の尾道の人物が海賊として参加していたが、名前がわからないので、尾道六郎と創作された) 可能性も高く、詳しいことはわかりません。
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室町時代に入ると、尾道水道を監視する役割を果たすため、丹花城があったようです。
なお、福善寺裏山の墓地には、丹花城主とされる、持倉則秀の墓、持倉則保の墓があります。
桓武平氏の平貞盛から15世の末孫が、持倉則秀とされます。
鷲尾山城を本拠とする木梨・杉原氏が領主であり、この持倉氏は家臣だったようです。
そして、備後守護に山名政豊・山名致豊・山名誠豊などが就任すると、山名氏は大田庄を請地として支配し、尾道に守護所を設置しました。
そのため、杉原氏の勢力は一時、尾道から駆逐され、丹花城も使われなくなった模様です。
こうして、天正元年(1573年)、行栄法印の開基で、福善寺が創建されましたが、この頃には毛利家が台頭しています。
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1584年、小早川隆景の援助も受け、木梨杉原氏の杉原元清が、より堅固な千光寺山城を築くと、本拠を移しますが、すでに丹花城は無かったと考えられます。
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