満願寺城とは
満願寺城 (まんがんじ-じょう) は、島根県松江市西浜佐陀町にある平山城です。
日本海に繋がる宍道湖(しんじこ)の、北側に突き出た標高28mの丘陵端に築かれています。
戦国時代には、満願寺城の北側に、宍道湖とつながっていた「佐陀水海」があったようで、3方が湖に囲まれた、天然の要害でした。
となると、当然、水軍も有していたのでしょう。
最初の築城としては、戦国時代の大永元年(1521年)に、湯原信綱が築いたとも伝わりますが、もっと以前から砦として機能していたものと推測できます。
この湯原信綱は、月山富田城主である尼子経久の家臣で、伯耆・時山城主でしたが、嫡男・湯原宗綱(ゆはら-むねつな)に城を譲り、1527年に満願寺城に移ったともあります。
この「時山城」に関しては、現在の鳥取県南部町付近と考えられていますが、所在地は、わかっていません。
時山城の湯原宗綱は、1540年、尼子晴久による吉田郡山城の戦いで、敗走し、自刃しました。
そのため、家督を継いだのが、次男だった湯原春綱(ゆはら-はるつな)で、そのまま満願寺城主となっています。
母は、尼子国久の娘で、正室は富永元安の娘となります。
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永禄5年(1562年)に毛利元就が出雲に侵攻し、兵站基地として近くに「荒隈城」を築きますが、この時、天野隆重や大谷元親、桂元忠、児玉元実の誘いもあり、湯原春綱は毛利家に臣従しました。
以後は、毛利勢で出雲の指揮官となった、吉川元春に従って、月山富田城の戦いなどに参じています。
特に1563年、大村の戦いにて、湯原勢は尼子氏の首級をたくさんも挙げており、湯原春綱は黒田藤右衛門尉を自ら討ち取りました。
家臣らの働きとしては、木村五郎兵衛が野嶋助五郎を、黒崎弥市郎が黒田助八郎を、岩内弥十郎が黒田助八郎の被官である黒田七左衛門を、湯原慶綱が山下左内を、木村忠三郎が敵兵の首を2つ、石橋左京、谷孫兵衛、谷孫七、山本九郎左衛門、吉岡清空入道がそれぞれ敵兵の首を1つずつ挙げており、毛利元就から感状を与えられました。
湯原春綱は、旧尼子家臣の中でも、水軍の規模が大きかったようで、毛利水軍としては、はるばる瀬戸内海にも出向いて、小早川隆景、乃美宗勝、村上通康、平岡房実、村上吉継らの水軍と行動を共にしたようです。
永禄12年(1569年)、山中鹿之助らが、尼子勝久を首領にして尼子再興軍を起こすと、満願寺城の付近でも尼子再興軍と毛利家の争いとなります。
湯原春綱は、出雲・末次城(今の松江城)や、出雲・加賀城の守備も務めましたが、湯原春綱の叔父とされる、出雲・高瀬城の米原広綱らが尼子再興軍に加わったため、湯原春綱も離反を疑われました。
そのため毛利家への忠誠を誓う起請文を吉川元春に提出し、隠岐島に水軍を向かわすと、尼子勢の国府尾城主・隠岐清実?を降伏させるなどしています。
なお、この間に、元亀元年(1570年)、尼子再興軍の海賊として知らせる、奈佐日本之介(なさ-やまとのすけ)が、満願寺城を占領したようですが、3年後に吉川元春が奪還しています。
織田信長の重臣・羽柴秀吉の軍勢が、毛利輝元を攻めるようになると、天正7年(1579年)、湯原春綱は美作・医王山城(祝山城)の守備を命じられました。
1580年、医王山城の戦いでは、福田盛雅、塩谷元真、小川元政らと共に籠城して、宇喜多直家らの攻撃から約2年も、耐えました。
この戦功で、美作国に300貫の加増と、豊前守の受領、更には伯耆国で200石の所領を、毛利輝元から与えられています。
このように、毛利家の中でも、湯原春綱は一目置かれる存在となっていたようで、織田信長は、羽柴秀吉に命じて「出雲一国」を与える条件で味方につけるよう、命じています。
しかし、湯原春綱は、この誘いを主君・毛利輝元に報告して忠節を示したため、、因幡国と美作国にて、更に1000貫の加増を約束されました。
しかし、医王山城の出城を守備していた、米原景儀が羽柴秀吉の調略にて毛利家から離反したことで、湯原春綱は、改めて毛利家への忠誠を誓う起請文を提出しています。
天正13年(1585年)、毛利家の四国攻めにも参加しますが、湯原春綱は天正19年(1591年)8月26日に死去。享年78。
毛利元就・毛利隆元・毛利輝元・吉川元春・小早川隆景などからの、数多くの感状・証文が残されています。
家督は嫡男・湯原元綱(ゆはら-もとつな)が継ぎました。
子孫は、周防国熊毛郡小周防に移り、長州藩士となっています。
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交通アクセス
満願寺城への交通アクセス・行き方ですが、JR山陰本線の松江駅から、松江市営バスに乗り「満願寺前」バス停にて下車して、南下する事、徒歩5分です。
麓にある満願寺の参拝者用駐車場を拝借できるようです。
境内には毛利元就が1562年に植えたと伝わる、椿があります。
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