伊予・怪島城(けしま-じょう)は、愛媛県今治市の瀬戸内海に浮かぶ標高は42mの小さな島です。
別名は毛島城とも言い、島全体が城砦化されていた水軍城でした。
上記写真はちょっと暗いのでわかりにいくですが、確かに島の頂部に木が生えていて、その周りは断崖のため「毛」が生えているように見え、いかにも「怪しげ」な島です。
戦国時代には、来島城主・村上通康の家臣である神野左馬允が、怪島城主として侍5騎、足軽20人の頭領だったとの記録があります。
5騎+足軽20名で25名と言う事は、従う家来も入れると総勢100名程度の集団だったと推測できます。
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1585年に小早川隆景に降伏し、怪島(毛島)が廃城になったあと、ずっと無人島として放置されていたようで、郭・空堀・ピットなど水軍城としては極めて良好な遺構が残っているとされます。
怪島の北側には上陸できそうな地点があるそうですが、無人島ゆえに、船が出ていません。
「じゃらん」では怪島城趾の紹介で「じゃらん旅行ガイドを見たと伝えるとスムーズです」と書いてありますが、無人島なのに誰に伝えるのでしょうか?
これも怪しすぎます。
私は、小型船舶1級の免許を持っています。
しかし、肝心の船を持っていないので、瀬戸内海でレンタルボートを借りればと思いましたが、上陸するとなると、船が傷ついたり、その間に流されてしまったりする恐れもあるかと思いますので、怒られそうですね。
そうなると、船舶をチャーターするか、カヤックなど自己責任で渡るしかないと思いますが、島に上陸できたとしても、山頂部までの道も怪しいでしょう。
そのため、小谷城の天守から転げ落ちたと言うような危険も伴いますし、そこまでして行きたいと思う怪島城趾でもないので「発見!ニッポン城めぐり」の城攻めついでに、1.3km手前の陸地から写真だけ撮影させて頂きました。
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一応、撮影した海岸のポイント地点は下記の地図です。
ここはたぶん、怪しくないと思います。
海岸から見た瀬戸内海も、水が想像以上に透き通っていて、キレイでした。
・来島村上家の来島通総と来島城【村上海賊】
・得居通幸と守り抜いた鹿島城の雄姿
・小早川隆景【詳細版】~毛利家大きく支えた智将
・伊予の戦国時代史跡を周る1泊2日旅の記録~松山城など
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