山形県

長谷堂城とは 激戦となった山形の城跡

長谷堂城

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長谷堂城(はせどう-じょう)は、山形県山形市長谷堂にある標高229mの山城で、比高90mです。
最初の築城は不明ですが、戦国時代の1514年に、伊達稙宗が山形に侵攻した際に、長谷堂城を守っていたのは小梁川親朝で、伊達文書によると「1514年最上家と戦って長谷堂を陥す」とあります。
1594年、最上四天王のひとりである志村光安が城主として見受けられます。
トップ写真は、内町口からの登り口で、かつては大手だったようです。

長谷堂城の縄張り図

長谷堂城の別名は「亀ヶ崎城」です。
亀のような形に見えた山城でもあることから「亀の甲羅の如き堅城」という意味もあるようです。

長谷堂城の八幡崎口

ちょっと日光が入ってしまいましたが、上記の八幡崎口から登ってみました。

長谷堂城の登山道

登山道は途中まで舗装されており、歩きやすかったです。
また、駐車場の登山口付近には「ストック(トレッキングポール)」もたくさん置いてあり、無償で借りられるようになっていましたので、地元の皆様のお心遣いを感じました。

長谷堂城の八幡神社

上記は八幡神社です。
長谷堂城は上杉勢の攻撃をしのいだ数少ない城ですが、長谷堂城の戦いは慶長出羽合戦で最大の激戦となりました。
湯野目民部などが討死した伊達家の書状では、最上勢が弱くて、撤退する上杉勢を皆討ち取れなかったとあります。

長谷堂城

土塁のような物も残っていました。

長谷堂城の本丸

戦後、長谷堂城には最上家のエリート官僚・坂光秀(坂紀伊守光秀)が13000石にて入りました。

長谷堂城

当時の長谷堂城主であった最上家譜代の家臣・志村光安(しむら-あきやす)は「性剛にして、口才人を挫き、いかなる強敵も彼の前には降った」と言うまさに智将でした。

長谷堂城の駐車場は下記の地図ポイント地点となります。

駐車場にはトイレもありますが、冬季は閉鎖されると思われます。
また、駐車場の脇には、水堀跡が復元されていました。
この水堀は、幅こそありませんが、長谷堂城を一周するように巡らされており、場所によっては2重になっていたようです。

長谷堂城の水堀跡

その堀の脇が、小さな公園(広場)になっており、その公園を横断すると、八幡崎口からの登山道となります。

長谷堂城史跡公園

駐車場から本丸までは片道約25分で、観光所要時間は全部見ると60分以上となります。
登城口は、合計6箇所あります。

長谷堂城の麓には、意外と民家が密集しておりまして、長谷堂の戦いのあと、御殿も麓に建設されたと言いますので、江戸時代に入って廃城となっても、城下町として多少は残ったのかな?と感じました。

なお、近くに、非常に泉質の良い日帰り温泉「百目鬼温泉」がありますので、入浴したのは言うまでもありません。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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