片倉城(かたくら-じょう)は、東京都八王子市片倉町にある比高30mの平山城で、最初は扇谷上杉氏の家臣・長井氏が築城したとされています。
もともと八王子は、平安時代中期以降、武蔵七党・横山党の所領です。
1213年の和田合戦にて横山党が没落してからは、大江広元の領地となりました。
そして、室町時代に大江広元を先祖とする大江備中守師親、又は、長井時広が片倉城に在城又は築城したと言われていますが根拠には乏しく諸説あります。
ちなみに、大江広元の4男は所領のうち相模国毛利庄(厚木市)を相続して毛利家の祖となる毛利季光でして、武功により安芸国吉田荘の地頭職を与えられると戦国大名の毛利元就、そして幕末の長州藩主・毛利敬親へと繋がって行ったのです。
その後、戦国時代には、八王子街道と北野街道の抑えとして、小田原・北条家が砦として拡張工事したと考えられています。
湯殿川と呼ばれる、いかにも武将伝説のありそうな川が眼下を流れています。
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その支流の兵衛川に挟まれた小比企丘陵の東端にあるのが片倉城です。
麓には沼地になっており、現在、住吉沼と呼ばれ、池なども残っています。
主郭と二郭が配置されており、北には腰郭があります。
西側は平坦な丘陵地であるため、空堀で遮断する構造になっています。
主郭の二郭間は鉤の手状に折れた大き目な空堀で区画されており、空堀中央部に設けられた木橋を防御する構造となっていたようです。
主郭東面(16号側)には櫓台、張出部、横堀、横堀内の櫓台が設けられており、曲輪には住吉沼信仰から「住吉神社」があります。
1569年、滝山城を攻撃されたあとに、北条氏照と北条氏邦が、三増峠の戦いへと、片倉城を経由して出陣したと推定されていますが、武田信玄・武田勝頼の部隊は、その前に片倉城の下を素通りしたと言う事になるかと存じます。
太平洋戦争中には、二の丸に高射砲が設置された経緯もあり、城跡はだいぶ改変されてしまっていますが、麓から登ると少しは堅固な砦であったことが伺えます。
片倉城の見学所要時間は30分~40分といったところでしょうか?
散策路は整備されていますので、子供連れでも大丈夫です。
ただ、夏季は茂みがありますので、遺構を良く見たいのであれば、冬が良いかと。
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片倉城への交通アクセス・行き方ですが、下記地図のポイント地点は無料駐車場の入口です。
ただ、入口はわかりにくいですので、地図を良く見てお出かけください。
近年、駐車場が新しくなりました。近くに新しいトイレもあります。
なお、駐車場は朝9時~夕方17時までです。
JR横浜線の片倉駅又は、京王線の京王片倉駅からも徒歩5分くらいで行ける城跡です。
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