由井氏館(ゆいし-やかた)は、東京都八王子市弐分方町にある武蔵七党の西党系である由井氏(由比氏)の館跡です。
この報恩寺山あたりが由井氏館跡と推測されているようで、皆さま、弐分方町の観音堂を訪れる事が多いようです。
そのため、観音堂に行って参りました。
西党と言えば、一ノ谷の戦いで有名な平山季重がおりますが、平山氏は現在の日野市ですのでちょっと離れています。
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由井氏は由井牧の別当でしたが、次第に横山党の勢力拡大で由井牧を追われたのでしょうか?
もともと、八王子の由井と言うと、現在の北野から片倉城辺りを言いますので、この弐分方町とは異なります。
なお、1317年に「由井本郷」の天野新左衛門の娘で、由井氏に嫁いでいた是勝尼が「源三郎屋敷」の所有をめぐって訴訟を起こしています。
是勝尼が勝訴したとありますが、その後の由井氏については不明です。
ちなみに、戦国時代の1559年、北条氏康の子・北条氏照が、滝山城主・大石定久の養子となりましたが、自領内各村への発給文書は「油井源三」の名を使っています。
これは、多摩地方の由井領(油井領)が北条氏照の領地であったためですが、ここが本拠と言う事ではありません。
観音堂のすぐ南側に堀があるとの話ですが、小さな谷とも呼べないような窪地にしか私の目には見えませんでしたので、写真も取りませんでした。
と言う事で、色々とツッコミたくなる由井氏館跡ですが、ひとつだけ言える事があります。
付近を通行する陣馬街道は、戦国時代後期に甲州街道が使われる前のかなり古くからある八王子から甲斐へと抜ける主要街道ですので、この街道近くの重要な場所に屋敷があったとしてもおかしくはなりません。
しかし、個人的にはここではないと感じずにいられません。
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観音堂への行き方ですが、陣馬街道から入ると道は狭いです。
駐車場はありませんので、付近の駐車禁止ではない道路に止める事になりますが、道路が狭いですので、消防車走行の妨げにならないところを探すのに苦労しました。
なお、地図では観音堂そばまで入れそうですが、軽自動車専用道路のような感じで、Uターンも困難です。
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