神奈川県

波多野城 波多野義景などの居城なのか?

波多野城

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波多野城(はたの-じょう)は、神奈川県秦野市寺山にある平山城です。
秦野市の東小学校の西側にある舌状に南北に伸びた台地が城跡とされます。
西には川が流れていて、天然の堀の役割を果たしており、なるほど砦には有効だと思わせる地形です。
駐車場はありませんが、東小学校と東中学校の間付近に、畑に降りて行ける農道があり、城址まで歩いて行くことが可能です。


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その台地の南端が波多野城とされ、平安時代末期に波多野義通が築いたとされます。
波多野氏の先祖は佐伯経資で、源頼義に仕えていました。
源頼義が相模守に任命された際に、相模国に下向して統治したようです。
波多野氏からは、松田氏などの一族を輩出していますが、主家である源義朝と不和になると、源頼朝が挙兵した際には大庭景親に従って平家側として戦います。
そして、敗れた波多野義常は、1180年、松田の館で自刃したため、没落しました。

波多野城

その後、一族を率いた、波多野義景などの居館跡が、波多野城址とも推測されます。
波多野義景は、波多野義通または波多野遠義の子で、源頼朝より本領安堵を得ています。
三浦一族のて岡崎義実と所領争いもありましたが、1189年の奥州合戦では、戦場で討死する覚悟を宣言してから出陣したことを、源頼朝から称賛されています。

江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」では、波多野次郎の城跡との記述があります。
ただし、一部区画を発掘調査した結果、屋敷跡、茶碗など、生活の痕跡すら発見することはできなかったと言う事で、本当に城跡だったのか?と疑問符もついています。


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平安時代から鎌倉時代にあった波多野氏の屋敷としては、源実朝公御首塚の近くから、鎌倉時代の建物跡が検出された東田原中丸遺跡が有力となっています。

相模・波多野城への交通アクセス・行き方ですが、バスの場合には、秦野駅から東農協前バス停下車して、登城口まで徒歩3分といったところです。
間違っても、畑の農道にクルマを乗り入れるような事はしないよう、マナーを守りたいところです。

源実朝公御首塚と波多野城~本当の波多野城跡は?


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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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