唐津城とは
唐津城(からつ-じょう)は、佐賀県唐津市東城内にある連郭式平山城で、別名は、舞鶴城(まいづるじょう)とも言います。
最初の築城は、関ケ原の戦いのあと、1602年から唐津藩主の寺沢広政や寺沢広高が築城したとされます。
標高は62mで、比高は60m、続日本100名城にも選ばれています。
ただし、歴史的に立地から考えますと、それ以前から城があったと推定されますが、古い時代のことはよくわかっていません。
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今回、訪問した唐津城の見学などで、効率が良い観光方法などを記載したいと存じます。
まず、駐車場ですが、下記の地図ポイント地点に170台と大きな有料駐車場がありますので、便利です。
1時間まで100円、3時間まで300円で、朝9時から入場できます。
福岡空港からレンタカーで高速を利用し約60分の所要時間でした。
地図は例によって縮尺を変えてご覧願います。
駐車場からは下記のように天守が良く見えますので、撮影ポイントとも言えます。
駐車場から地下通路を渡ると、唐津城へ登る「階段」が見えます。
しかし、階段は登らずに、山の左側の道をずっと奥まで進んで頂きたいです。
すると「舞鶴公園エレベーター」があるので、その地下エレベーター(斜坑式)で本丸(標高43m)に登る事ができるので、当然のように利用致しました。
訪問時点で片道大人100円、小学生・中学生は片道50円。
お年寄りなど階段が苦手な方は、往復エレベーターの利用も可能です
下記は本丸から西ノ浜を望む写真です。
唐津城は寺沢広高が存命だったころからあったと推測されますが、本格的な城に改修したのは1602年からで、子の寺沢広高の頃となります。
連郭式平山城へと変貌し、1608年に完成しました。
天守台も建築されましたが、天守の建物は建てられなかった模様です。
そのため、天守は複合式望楼型5層5階地下1階の模擬天守となります。
天守の内部は有料拝観が可能で、階によっては写真撮影も許可されています。
※階により写真撮影禁止。
展示物は土地柄、唐津焼の茶器などが多かったが、下記のような大砲もありました。
なお、館内には冷暖房が無いので、この梅雨の時期、汗だくになりました。
下記は天守の最上階より「虹の松原」を撮影したものです。
下記写真は左が虹の松原で、右の大きな川は「松浦川」となるが、ご覧のように雨の影響で川の水は濁っていたのが残念です。
唐津市内は下記のような感じで、左に観光用の有料駐車場が写っています。
下記は唐津港で沖には島もあり、風光明媚なところです。
石垣は修復のため絶賛工事中であったが、このように文化財が保存されて行くのは非常にうれしく感じます。
ちなみに、唐津城の石垣工事が終わるのは、平成30年3月20日の予定とあるので、これだけの修復でも4~5年要すると言う事です。
熊本地震にて大きく被災した熊本城の石垣は本当に30年間くらいは掛かるかも知れません。
しかし、昔の人々は、こんなのをよく、たった数年で完成させたものだと感じます。
下記は唐津城の井戸です。
さて、天守を見たあと、道なりに進んでいくと、駐車場方面に階段で降りて行くことができます。
※写真は振り返って撮影していますが・・。
しかし、石垣も見事で素晴らしいです。
なお、幕末の唐津藩主としては水野忠邦がいます。
唐津城の観光所要時間は私のこのルートで約50分でした。
標準は60分との事です。
4億1211万円をかけて2017年7月22日、唐津城天守閣がリニューアルオープンしました。
JR唐津線の唐津駅からですと徒歩15分ですが、唐津市ふるさと会館アルピノにて、有料のレンタサイクルを借りても良いです。
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寺沢広政の子・寺沢広高(寺沢志摩守広高)は、関ヶ原の戦いにも参加しており話題が満載である為、是非、引き続きご覧願います。
この記事は戦国武将列伝の記事を再編集したものです。
・寺沢広政とは
・寺沢広高とは~関ヶ原では東軍として活躍した唐津城主
・安田国継とは~織田信長に傷を負わせ森蘭丸を討ち取った安田作兵衛
・水野忠邦~天保の改革の真相を解説 意気込みだけは良かった?
・城めぐり用「日本のお城」マップ
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