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真田丸(さなだまる)は、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣にて、大坂城に籠城した豊臣秀頼に味方する真田信繁(真田幸村)が築いた出城・曲輪(出丸)です。
大坂城の弱点と考えられた、平野口の南側の丘に築城されました。
大坂冬の陣にて和睦となった際に、真田丸は徹底的に破壊されたため、大きさなどの規模や形状などには、諸説あります。
また、現在は住宅地や学校地などになっているため、面影を偲ぶことはできませんが「真田山」として、丘が残っており、多少なりとの史跡として見どころはありますので、真田丸について、まとめてご紹介したいと存じます。
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真田丸跡にある心眼寺
大阪の心眼寺(しんがんじ)は、1622年に白牟和尚(はくむ)が、真田信繁(真田幸村)と真田大助の冥福を祈るために創建した堂舎です。
白牟上人は滋野氏の一族であると言う説もあり、創建から寺の定紋は六文銭で、山号は真田山と称します。
しかし、当時の大坂は徳川幕府の直轄地でもあり、豊臣勢の武将である真田幸村父子の墓を作る事は許されなかったそうです。
それが、400年目である2014年10月に、ようやく真田左衛門佐豊臣信繁之墓として建立することができました。
境内地は大坂冬の陣での「真田丸」城郭跡で、真田幸村鎧掛けの松の木もあったそうですが、1945年の大阪大空襲により堂宇ともども焼失したそうです。
戦前の話ですが、地蔵参りのお土産?として「真田軍薬」と言う、真田幸村が傷薬として愛用していたとされる、黄色い粉末薬があり、昔は袋に入れて売られていたそうです。
※恐らく、戦後に薬の製造規定が厳しくなり、販売中止になったものと推測致します。
心眼寺の入口には「真田幸村出丸城跡」の石碑が立っています。
山門の左側には大阪龍馬会が建立なさった「京都見廻組」墓所の石碑も。
そうなんです。坂本龍馬を殺害した候補者で有力視されている、京都見廻組の桂早之助・渡辺吉太郎墓所にもなっています。
本堂の正面・左にあります。
心眼寺にある「まんなおし地蔵」は、間の悪さを直してくれるお地蔵さまです。
最近、どうも間の悪い事が多いなぁ~と感じている時に、お参りするとご利益があるとの事です。
いつも間が悪い小生ですので、丁重にお祈りしたのは、言うまでもありません。
なお、反対側の明星高校が真田丸の中心部だったとの推測もあり、学校のテニスコート脇に2016年2月頃、真田丸の出城跡を示す石碑として真田丸顕彰碑が、新たに建立されるとの情報もあります。
その後、下記の通り、撮影して参りました。
心眼寺の正面あたりです。
心眼寺は宰相山公園の西側にあり、門が開いている時間は、8時~17時です。
駐車場はありませんので、周辺道路に点在するコインパーキング利用となります。
心眼寺へのアクセス・行き方ですが、下記の地図ポイント地点が入口となり、見学は無料です。
大阪市営地下鉄の玉造駅からだと歩いて5分くらいです。
付近にある三光神社と合わせて、ご訪問されると良いかと存じます。
下記の地図では、付近の観光スポットをまとめて記載してありますので、ご参考になさって頂けますと幸いです。
真田丸の端にある三光神社
三光神社(さんこうじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区の宰相山公園にある神社ですが、大坂の陣のあと、真田山に移転した神社となります。
創建は西暦410年頃と伝わりますが詳細は不明です。
ただし、武内宿禰の末裔とされる武川氏が代々神職であり、現在は86代目とされます。
大阪の陣のあとである1706年に現在地に移転して鎮座し、姫山神社と呼ばれました。
三光神社は大阪七福神のひとつでもあります。
三光宮が境内に設けられると全国でも中風除けの神を祀る唯一の神社として信仰も厚くなり、明治41年(1908年)に姫山神社の境内に三光宮を合祀して「三光神社」と名を改めました。
なお、3柱の神を祀っていることから「三柱神社」「日月山神社」とも呼ばれます。
三光神社の真田丸のぼり旗の「真」の漢字は「眞」になっていますが、これは宮司さんの判断との事です。
三光神社がある丘は、大阪城の出城である「真田丸」があった場所とされ、南惣構堀を隔てた大阪城までの抜け穴を掘ったとされる真田幸村の抜け穴が社殿下にあります。
かつては三光神社以外にも付近に8つほどの横穴があったそうですが、危険だと言う事でその多くは埋められたそうです。
抜け穴の入口は「真田の六文銭」が入った鉄の扉で閉められており、中には入れません。
大阪冬の陣の際に、籠城する大阪城を攻める為、徳川勢が掘ったとの説もあります。
三光神社にも真田の「勝守」があるのですが、まだ朝9時30分頃だったせいか?、社務所のチャイムを押しても応答が無く、購入は断念しました。今回の大阪旅行で唯一の残念となりました。
さて、三光神社へのアクセス・行き方ですが、最寄りは大阪市営地下鉄・鶴見緑地線の玉造駅から徒歩2分です。
駐車場はありませんが、付近にタイムズなどのコインパーキングが点在しています。
三光神社の観光所要時間は10分~20分あれば充分です。
真田丸の跡地として、近くの心眼寺とセットでご訪問なさってみて下さい。
下記の地図では、付近の見どころ観光スポットをまとめて記載してあります。
どんどろ大師善福寺
善福寺(ぜんぷくじ)は、大阪市天王寺区空堀町にある高野山真言宗の寺院です。
この善福寺は、真田丸があったとされる北の空堀だった場所にあります。
江戸時代の1752年に高野山岩本院の法資法道が、大阪夏の陣の戦死者を弔う為に創建したのが、鏡如庵大師堂(どんどろ大師)となります。
その後、明治に入ると廃れてしまい、明治6年(1873年)に、どんどろ大師は廃庵となりました。
なぜ、どんどろ大師と呼ばれるようになったのかは、良くわかっていません。
一説には、1834年に土井利位が大阪城代として赴任すると、近くに屋敷を構えてから「土井殿のお大師様」と呼ばるようになり、それが転訛して「どんどろ大師」と言うようになったありますが、確証はありません。
明治42年に、大阪府豊能郡豊能町にあった善福寺が現在の場所に移転してきて、どんどろ大師善福寺と称し現在に至っています。
ワタクシが訪問させて頂いた際には、お堂に入ると侵入センサーにより感知されたようで、ご住職さん?が事務所に出て来られましたので、無事にお守りを購入することができました。
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また、申し出て見ると、本堂内部を撮影しても構わないと言う事でしたので、お写真も1枚撮らせて頂きましたのが、このページトップの写真です。
善福寺の場所は下記の地図ポイント地点となります。
駐車場はありませんので、付近のコインパーキングをご利用願います。
三光神社の北方向などには、結構、100円パーキングあります。
・心眼寺の訪問記【真田丸の跡地にある真田幸村ゆかりの寺院】
・大阪城の史跡巡り観光堪能2時間コースのご紹介
・真田信繁(真田幸村)の生涯はこちら
・どんどろ大師善福寺(大阪市)~真田丸の戦死者を弔っていた寺院
・三光神社と真田幸村の抜け穴?【訪問記・写真集】
・真田幸村が9年間暮らした「九度山」に関しての観光情報はこちら
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