佐江戸城とは
佐江戸城(さえど-じょう)は、神奈川県横浜市都筑区佐江戸町にある平山城です。
鎌倉時代には、武蔵国都筑郡佐江土郷との記述もあり、鶴見川と恩田川が合流し、南には中原街道がとおる、交通の要所でした。
気になる地名の由来としては、この佐江土が、佐江戸と言う漢字に、変化したものと考えられます。
戦国時代になると、北条氏尭の領地となり、大永年間(1521年~1527年)に、小机城の支城として築城されたようで、猿渡内匠助(さるわたりたくみのすけ)が最初の城主だとされます。
猿渡内匠助の墓が、近くの無量寺の境内にあるようです。
この猿渡氏は大國魂神社の神主家であり、平安時代に藤原兼延(藤原藤左衛門兼延)が、武蔵国橘樹郡猿渡村( 神奈川県横浜市神奈川区菅田町)に住んだのが始まりです。
代々、武蔵国総社大宮司を務めており、1335年、猿渡兼資は、足利尊氏の命に従わなかったため、神領を没収されました。
ただし、子の猿渡兼重は、武蔵国総社神主職を務めています。
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1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、佐江戸城主・猿渡盛正は、北条氏照の八王子城に籠城して、討死しました。
その後、猿渡盛正の妹が嫁いでいた、江戸城主・遠山景政の次男・遠山景次を、養子に迎えたようで、猿渡盛道と称し、徳川家の旗本になった模様です。
現在ある杉山神社の裏手が城址となりますが、目立った遺構は無いようです。
交通アクセス
佐江戸城への行き方ですが、JR横浜線の鴨居駅・北口から、距離1.6km、徒歩25分となります。
クルマの場合、西側から入れます。
東側にも道路はありますが、とても狭く、普通車は通行困難のようです。
駐車場はありません。
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