白地城(はくちじょう)は徳島県三好市池田町白地にある標高340mの山城です。
この地は西園寺家の荘園であり、最初は鎌倉時代前期に近藤氏によって白地城が築かれたと云われます。
その後、南北朝時代の建武2年(1335年)には田井荘(池田町)の荘官・近藤京帝が赴いて築城(改修)しました。
そして、郷名である大西と改姓し、8代(250年)に渡って大西氏の居城となったため、白地大西城とも呼ばれます。
主君は、阿波の守護大名である細川氏で、戦国時代には三好氏に従属します。
しかし、三好長慶が死去すると三好家は衰退し、土佐を平定した長宗我部元親は本格的に阿波への侵攻を開始します。
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この白地城がある池田町は、高知から見れば、阿波と伊予に進出するために欠かせない交通の要所です。
1576年頃には長宗我部勢が白地城に押し寄せますが、堅城であったため落城せず、大西頼武(おおにし-よりたけ)は、弟・大西元武を人質を出すことで一時和議しました。
しかし、大西頼武の妻は三好長慶の妹であったこともあり、阿波・岩倉山城主(河内・高屋城主)の三好康長の要請を受けると、長曽我部家との合戦の準備を始めて、三好家に復帰しました。
そのため、四国統一を目指す長宗我部元親は、1577年に白地城の支城・田尾城をわずか2日で落とすと、白地城主・大西頼武と子の大西覚養は讃岐・麻城へと落ち延びました。
長宗我部元親は「先づはこの大西さへ手に入り候へば阿讃伊予三ケ国の辻にて何方へ取り出づべくも自由なりと満足し給ひけり」と発言しています。
大西頼武は逃れる途中で自刃したともされています。
長曽我部家はさっそく白地城を大改修し、阿波と讃岐への足掛かりとなる拠点にしました。
その規模は、四国最大であったとも考えられています。
大西家は裏切った訳ですので、長曾我部家の人質となっていた大西頼包(おおにし-よりかね)は殺害されてもおかしくないのですが、逆に長曽我部元親より厚遇されて家臣となっており、2日で落とした合戦でも道案内を務めました。
天正6年(1578年)に、長曽我部勢が麻城を落とすと、大西覚養(おおにし-かくよう)は、叔父・大西頼包の勧めに応じて降伏しています。
こうして長曽我部家に臣従した大西覚養は、阿波に戻って娘婿の重清城主・重清長政を頼ります。
そして、重清長政に対して、長宗我部への寝返りを勧めましたが、拒否されたため、重清長政を謀殺しました。
このようないきさつで、大西覚養は、長曽我部元親から重清城の守備を任せられましたが、程なく1578年、三好勢の十河存保から反撃を受けて敗死しています。
長曽我部の家臣に加わっていた大西上野介頼包は、その後も活躍が見られ、讃岐の香川之景への使者を務めたり、引田の戦いでは、羽柴秀吉の重臣・仙石秀久を破るなど戦功を挙げています。
長曽我部元親と申しますと、阿波の国人をだまして殺害などしていることが多数ありますが、大西頼包を家臣にしたりした他、三好康長の人質を無事に返したので三好康長が泣いて喜んだという話もあるようでして、長曽我部家の悪道は誇張されたのかも知れません。
一方、白地城は、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による四国攻めの際には、長宗我部氏の防衛拠点となりました。
長宗我部元親は白地城に入って本陣とし、各方面の戦線を指揮しています。
しかし、阿波・一宮城が落城し谷忠澄の進言を受けて、長宗我部勢は土佐へ逃れると、白地城は廃城となりました。
ちなみに、西南戦争の際に熊本城を死守した官軍の谷干城は、この谷忠澄の子孫となります。
廃城後、池田の拠点としての役割は、近くの大西城となっていますが、歴史上でも重要な城であった白地城跡です。
近年まで空堀や武者走りの遺構が残っていたそうです。
しかし、現在の「あわの抄」と言う旅館が昭和42年に建設される際に、非常に残念ながら400年残されてきた堀跡や土塁・曲輪は破壊されて遺構などは失われています。
下記の山の中腹に見える白い建物が、あわの抄で、その山が白地城跡と言う事になります。
石碑は、デイサービスの建物先にある大西神社にあります。
ただ、パット見て私有地なのか、公道なのかよくわからないので、最初、足を踏み入れるのに、躊躇してしまいました。
わかりにくいので、石碑がある場所は、当方のオリジナル地図にて場所をピンポイントで示させて頂いております。
アプローチできる舗装路が地図には掲載されていないので、航空写真モードで場所を確認すると、わかりやすいと存じます。
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