近江・衣川城(きぬがわ-じょう)は、滋賀県大津市堅田町衣川にある丘城(平城)です。
現在は、衣川団地と言う一戸建ての住宅地として開発されているため、目立った遺構はありませんが、小さな公園に上記のとおり石碑があります。
近くには、飛鳥時代の末期に創建され、極めて特異な伽藍配置を持つ史跡名勝天然記念物「衣川廃寺跡」(きぬがわはいじあと)があることから、古くから栄えていた模様です。
なお、東北は平泉中尊寺からほど近い所にも、衣川城がありますが、そちらは模擬天守でそもそもお城があった訳では無さそうですので、こちらの近江・衣川城は本物と言う事になります。
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最初の築城は不明ですが、文暦元年(1234年)1月、粟津の戦いにて武功があった山内義重が、衣川領を得て城を築いたと言います。
推測になってしまいますが、近江源氏佐々木氏の一族である六角氏の諸流が、山内氏と考えられます。
それから、山内家が代々続いたようで、戦国時代には、11代・山内宗綱(山内駿河守宗綱)がいます。
山内宗綱は、浅井公政・京極高清らと1508年~1511年の3年間、朝倉貞景・村上山城守・細川高国(細川入道高国)・河野通直・大内義典らと戦いを繰り広げました。
しかし、1526年8月3日夜、細川高国が近江・衣川城を夜襲(奇襲)したようです。
このとき、南からは香東山城守に、北からは島村弾正貴則に挟撃され、衣川城は落城しました。
逃れた山内重清らは伊予国宇摩郡近井郷鏑崎村(愛媛県西条市)まで逃れて、土着したと言います。
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近江・衣川城への行き方・交通アクセスですが、JR西日本旅客鉄道「湖西線」にて堅田駅から、徒歩20分となります。
駐車場はなく、小さな公園前の道路も細い道路の為、路駐も困難です。
当方のオリジナル地図にて、近江・衣川城の場所をポイントしておきます。
次は近江・真野城へ向かいしました。
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