南志見城(なじみ-じょう)は石川県輪島市里町にある山城です。
南志見住吉神社の裏山にある比高80mほどの細長い山城になります。
最初の築城などは全く不明です。
なお、長氏の4代・長有連(長左衛門有連)の子・長四郎が南志見氏を称したともあります。
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戦国時代の1557年頃に、南志見中務大輔が城主として見受けられます。
南志見氏は、戦国期に穴水城を本拠にした長氏の庶流とされます。
長氏の祖は、鎌倉初期に能登国大屋荘(輪島)に入った長谷部信連と言う事になります。
なお、長南志見孫太郎や長南志見五朗左衛門が、室町幕府の将軍に仕えた奉行衆として見受けられます。
下記は南志見城を海側から撮影したものです。
1571年には南志見光連が、能登・畠山家の奥能登外浦の代官を務めました。
1577年、上杉謙信が七尾城を包囲した際に、南志見城は上杉勢の攻撃を受けて落城しました。
この時、上杉勢に寝返ったとされる、南志見氏の家来である井口藤弥丞が、南志見城主に据えられたと言われています。
能登・南志見城に登城する場合には、輪島市立南志見小学校の坂を上がって行くと良いみたいで、西側が本丸のようです。
平日と言う事もあり、学業の妨害や、不法侵入になる恐れもあることから、登城は控えました。
次は、輪島の天堂城に向かっています。
・七尾城 畠山義統と畠山義総 上杉謙信との七尾城の戦い
・穴水城 能登にある長氏の本拠地
・天堂城 温井景隆と埋蔵金伝説もある能登の山城
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