出羽・湯沢城(ゆざわじょう)は、秋田県湯沢市湯沢にある古館山に築かれた山城です。
標高は222m、比高120mになります。
最初の築城は、鎌倉時代に雄勝郡を領地として小野寺経道が稲庭城を本拠としました。
このとき、1227年に湯沢城を築いて、3男の小野寺道定が入ったとされていますが、当然、詰め城と言う事だったのでしょう。
戦国時代になると、小野寺輝道の復活に大きく貢献した八柏道為が湯沢城に入りました。
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その八柏道為は、小野寺氏の軍師であったため、最上義光は策略を持って小野寺輝道に暗殺されたあと、1595年、最上勢が攻め込んで出羽・湯沢城は落城し、最上家の家臣・楯岡満茂が入りました。
関ケ原の戦いのあと、1602年に、出羽に移った佐竹家のいつ続・佐竹義種(佐竹南家第3代当主)が湯沢城主となり、城の改修や城下町の整備を行いました。
なお、佐竹義種は山城には住んでおらず、麓に住居兼役所を設けたと言います。
そして、1620年(元和6年)の一国一城令によって廃城になりました。
麓には「力水」と言う、佐竹南家のご用水が今でも滾々と湧いています。
力水(ちからみず)は日本の名水100選にも選ばれていますが「からだに力がつく水だ」と愛用されたことから、その名前がついています。
主郭から尾根続きの北西にある物見台の付近は公園整備されており、八幡神社があるようです。
近くの清涼寺には佐竹南家の墓所があります。
なお、時間がなく登城は断念しましたが、本丸には東側の林道途中にある駐車スペースから入れば、ほとんど登ることなく到達でき、また近いです。
交通アクセスですが、JR奥羽本線の湯沢駅から麓まで徒歩約10分となります。
自動車の場合、湯沢横手道路の湯沢ICから5分です。
当方のオリジナル東北地図に、駐車場や本丸に便利な駐車スペースの場所などを印してあります。
・八柏道為 小野寺氏を最盛期に導いた軍師
・楯岡満茂とは
・小野寺義道 仙北一揆で所領を減らし関ケ原の戦いで改易
・最上義光とは~羽州の狐・虎将と呼ばれた勇将
・出羽・稲庭城 スロープカーで行く山城への登城
・東北の城めぐりにも便利なオリジナル地図
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