陸奥・源常館(げんじょうやかた)は、浪岡北畠氏が浪岡城に移るまで本拠地にしたと伝わる館跡で、青森市の浪岡大字北中野字沢田にあります。
浪岡城(浪岡御所)からは、道路の距離で約1km、歩くと12分くらいのところとなりますので、結構、近いです。
浪岡川と正平津川に挟まれた、標高55m、比高20mの台地にある平山城ですが、築城者・築城時期は不明です。
最初に浪岡北畠氏が住んだ場所ともされますが、東山根の次に移り住んだとも考えられています。
ともあれ、浪岡御所に本拠を移してからは家臣が住んだことでしょう。
下記は北畠神社手前の開けたところで、子の辺りにも屋敷などがあったのかも知れません。
現在、東の部分は東北自動車道が通っており、地形も改変されているようで、明確な遺構は残されていません。
ただ、下記の写真、わかりますかね?
堀の中にリンゴの木も生えていますので、わかりにくいのですが、堀跡になっていて、深さも4mほどと規模も結構大きいですので、戦国期に整備したのでしょうか?
源常館主としては、源常顕忠、浪岡吉六といった名前が出てます。
戦国時代には、重臣に源常顕則、軽井氏、強清水氏の3人がいて、浅瀬石方面の守り固めていたとあります。
恐らくは、この堀で東側を遮断していたと推測できますので、この記事のトップでご紹介している写真のリンゴ果樹畑の部分が、本郭であったのではないかと推測致します。
また、推定樹齢500年以上、高さ20mと言う源常林の銀杏の木があり、小さな姥神社と、反対側には北中野竜神社が道沿いにあります。
浪岡城を落とした大浦氏は、堀越城で祝宴をあげましたが、その時、家臣が草刈唄の一つとして「浪岡の源常林の銀杏の木は、枝は浪岡、葉は黒石、花は弘前(堀越)の城で咲く」と唄いました。
これが木こりの仕事歌「津軽山唄」(つがるやまうた)になったと伝わっています。
この源常林の大銀杏は、津軽・浪岡の歴史をずっと見てきたのです。
源常館(げんじょうだて)へのアクセス・行き方ですが、JR奥羽本線の浪岡駅から「青森空港」行きのバス、又は青森空港から「弘前バスターミナル」行きのバスにて両方とも五本松バス停で下車し徒歩10分となります。
駐車場はありませんが、道路は駐車禁止ではないので、路肩に止められます。
ただし、農作業車や地元の皆様の通行を妨げないよう、注意しましょう。
源常林の場所は、当方のオリジナル地図にてご確認いただけますと幸いです。
あまりウロウロしていると、リンゴの収穫時期に、不審者と思われますので、そそくさと退散致しました。
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