京都府

丹後・下岡城 一色氏滅亡の影で犠牲となった家臣たち

丹後・下岡城

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丹後・下岡城(しもおか-じょう)は、京都府京丹後市網野町下岡松ヶ谷にある標高90mの山城で、比高は80mあります。

登山道は整備されていないのですが、網野町下岡地区にある尾崎神社の裏手から、なだらかな谷筋に沿って登って行くと、本丸・西側の堀切に約15分ほどで到着するようです。
そんなに急ではなく、登りやすいとの事です。
見どころとしては、数カ所にある堀切と、主郭の土塁になります。
ただし、整備されている訳ではありませんので、夏は草もボーボーらしいです。


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最初の築城は不明ですが、戦国時代には一色家の家臣・高屋氏が下岡城主を務めていました。
1579年に、細川勢が丹後に侵入した際には、高屋駿河入道、良閑同十郎兵衛が守備しています。

丹後・下岡城

1582年、本能寺の変のあと、弓木城の一色氏を攻撃した細川勢によって下岡城も攻められたと言います。
このとき、下岡城には城主・高屋良閑(高屋駿河守良閑)、高屋遠江守の父子をはじめ、木津城主・赤尾但馬守、高橋城主・今井能世次郎、公庄城主・森忠左衛門らが籠城していたと言いますので、近隣の武将が結集して対抗したのでしょう。
しかし、細川興元の攻撃により、高屋良閑(たかや-りょうえい)と、高屋遠江守は討死し、落城したとあります。

細川興元(ほそかわ-おきもと)は、細川幽斎の次男で、1万5千石にて吉原山城主となりました。


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交通アクセスですが、電車の場合、京都丹後鉄道の網野駅から徒歩15分ほどで麓です。
クルマの場合、近くに駐車場がないため、網野駅にある駐車場に車を停めて行くと良いです。
もしくは、下岡区公会堂にお願いして、車を止めさせて頂く方法もあるようです。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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