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岩国城とは
錦帯橋(きんたいきょう)は、国の名勝で「日本三名橋」「日本三大奇橋」とも選ばれています。
初代の岩国領主となった吉川広家は、1601年に岩国城(横山城)を築城しました。
そして、城下町の整備を行うと、錦川で分断された街を繋いで城下町を発展させるため「大橋」を建造します。
しかし、洪水の度に橋は流されてしまったため、2代藩主となった吉川広嘉は、洪水になっても流されない「頑丈な橋」を建造する事を決意します。
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最初は橋脚を無くすことを考えたようです。
橋脚が無い事で有名な甲州・猿橋に、大工の児玉九郎右衛門を派遣して現地調査させたと言います。
しかし、大月の桂川(相模川の上流)は川幅30mに対して、岩国の錦川は200mもあるため、橋脚が無い橋は断念し、橋台が流されないように石垣で強固にした上で、アーチを掛けると言う工法を採ることになりました。
そして、江戸時代の1673年に最初の「大橋」が完成します。
全長は193.3m、幅5.0mで、5連のアーチからなる木造橋です。
しかし、翌年1674年の洪水で流出してしまったことから、橋脚の土台である敷石を更に強化して再建しました。
すると、以後250年以上、橋が流されることはなくなったと言います。
そして、錦川の大橋は五龍橋、城門橋、龍雲橋など色々な名前で呼ばれるようになりましたが、1700年代に入ると、いつしか「錦帯橋」と呼ばれるようになりました。
ただし、明治以降は上流での木材伐採などで川に水が集まりやすくなっており、昭和25年(1950年)9月14日、276年振りに橋が流されました。
現在の錦帯橋は昭和28年に再建されたものですが、当時とほぼ同じ姿・形になっています。
木造橋でもありますので補修・修繕なども常に必要で、大変だとは思いますが、かけがいのない「架け橋」として、後世にいつまでも残される事を願うばかりです。
ちなみに錦帯橋を渡る(入る)のには「入橋料」が必要で、対岸に出て戻ってくる往復分の料金設定となり、片道や途中で引き返すだけでも同額です。
なお、24時間通行できますので、夜間でも錦帯橋を渡ることができますが、22時以降は消灯されますので、危ないかも知れません。
歴史と見どころ
毛利家は関ヶ原の戦いのあと大幅に所領を減らされます。
出雲・富田で14万石だった吉川広家も、岩国3万石として封じられました。
1601年に赴任した吉川広家は横山山頂に「岩国城」の築城を開始します。
1602年には麓に御土居と呼ばれる館が整備され、1608年には岩国城(横山城)も完成しました。
岩国城へは錦帯橋から歩いて5分のところから岩国城ロープウェーで登ると便利です。
想像していた以上に石垣などもありました。
複合式望楼型4重6階の立派な天守も備えていたそうです。
しかし、1615年に徳川幕府は「一国一城令」を発します。
毛利家の長州藩はちょっと特殊でして、周防・長門2ヶ国37万石を治めた長州藩主・毛利輝元は萩城を1608年に完成させていました。
これが長州藩本国の本拠地です。
しかし、長州藩には櫛崎城主・毛利秀元の「長府藩」(6万石)、徳山城主・毛利就隆の「徳山藩」(3万石)、吉川広家の「岩国領(岩国藩)」(3万石)と3つの支藩を特別に許されており、長州藩の領地から分割していました。
本来であれば1万石以上は「大名」ですが、支藩扱いであった為、大名としては認められなかったのです。
ただし、参勤交代は命じられており、江戸城下にも屋敷があります。
このように「藩」としては全体で「長州藩」であった為、一国一城令に伴い、毛利秀元は櫛崎城を破却して長府陣屋に改めます。
そのため、岩国城もこのままにしておくことができなくなり、1615年に破却・廃城となりました。
以後は麓の土居が岩国陣屋として使用され、その跡地が現在の吉香公園(きっこうこうえん)と言う事になります。
1961年(昭和36年)に復元された現在の復興天守は、もともとの天守台より東へ約50m離れた、展望の良い場所に建てられています。
そのため、旧天守台の石垣も修復・復元されています。
下記写真がそうです。
1608年に初代藩主吉川広家によって建立された桃山風南蛮造りのお城です。
展望台になっている天守閣からは、錦帯橋や錦川をはじめとする岩国市を見渡すことができる絶景スポットです。
3枚続けてどうぞ。
日本100名城に選定されている城で、現在の天守は「天守構造図」という絵図を元に復興されたものです。
下記は館内で展示されている刀などですが、撮影はOKです。
岩国城に行く途中には、大井戸もありました。
天守の北東側に空堀(堀切)があると言う事で撮影してみましたが、例によって写真だと良く分からないと思います。
下記は岩国城部分の案内図です。
岩国城は舗装された道もありますので、ベビーカーでも天守まで到達できます。
岩国城ロープウェイの山頂駅から、岩国城への行き方は2通りあります。
行きは舗装されている広い道を使い、帰りは別の山道を通ると、より岩国城を堪能できると存じます。
残りは麓にある吉川家関連などの史跡をご紹介致しましょう。
吉川家墓所
まずは吉川家墓所です。
岩国・吉川広家から12代・吉川経幹(6代・吉川経永を除く)までの、吉川家一族の墓が51基あります。
その数と規模、整備状況と言い、外様大名でこれだけのものはそうそうありませんので、スゴイです。
墓地中心には吉川広嘉の墓と近親者など合計5基の五輪塔が横一列に並んでいます。
吉川広家が眠るのが「山のお塔」です。
下記の階段を上がって行きます。
下記が吉川広家の墓です。
吉川家墓所の配列ですが、下記の案内をご参照願います。
下記は「器量が悪い」とも文献に記述されている?、吉川元春の正室・新庄局(熊谷信直の娘)の墓です。
ここで、これら吉川家や岩国城関連の史跡がある「吉香公園」をおさらいしておきましょう。
吉香公園(きっこうこうえん)は、かつての岩国城の岩国藩主・吉川家の居城跡城下であり、横山校舎跡地でもあります。
公園自体は入園無料で24時間です。
正確に申し上げますと、岩国城も含めて吉香公園となっています。
錦雲閣
錦雲閣(きんうんかく)は、岩国城にあった櫓(矢倉)を模して明治18(1885)年に建築されたものです。
水堀もとても綺麗で、映えます。
香川家長屋門
岩国藩の五家老として活躍した香川家の長屋門が移築されています。
八木城主・香川光景の次男・香川春継が、今田経高らと吉川家の家老になっています。
1693年に香川正恒(かがわ-まさつね)が建設した門で、山口県の文化財に指定されています。
この門を建てた大工の棟梁・大屋嘉左衛門は、18歳で吉川広嘉の錦帯橋架橋に加わりました。
その後、大屋嘉左衛門が38歳のときにこの長屋門を建てたことになります。
ちなみに、2016年5月現在では、岩国市のHPに記載されている香川家長屋門がある場所は間違っていますので、小生の岩国錦帯橋散策マップをご参照願います。
目加田家屋敷
旧・目加田家住宅(目加田家屋敷)は吉川元春に仕えた目加田家の武家屋敷で、国の重要文化財に指定されています。
重文なのですが、素通りされる方が多かったのが気になりました。
目加田家は170石と言いますので、中堅藩士です。
簡素ながら木造二階建ての入母屋造りとなっており、無料で見学できますので、是非訪れてみて下さい。
昌明館の現存長屋
下記は7代目当主・吉川経倫の隠居所として建造された昌明館の現存長屋ですので、合わせて訪れてみてください。
槍倒し松
槍倒し松(やりこかしのまつ)にはこんな由縁があります。
西国から江戸へ参勤する行列は、岩国領(吉川藩)に願い出て、錦帯橋を通行させてもらっていたそうです。
本来、大名行列は、途中で諸藩の拠点を通過する際には、行列の「槍」を倒して礼儀を表していたそうなのですが、岩国藩は正式な藩ではなかったことからか、どの大名も槍を倒す事は無かったそうです。
そのため、錦帯橋のたもとに、枝ぶりの良い「松」を植えたて頃、大名行列は嫌でも槍を倒す必要が生じて、岩国藩士は大喜びしたと伝わります。
佐々木小次郎の銅像
巌流島で宮本武蔵と対決したことで知られる佐々木小次郎は岩国で生まれたとされ、ここには佐々木小次郎の銅像があります。
佐々木小次郎はもともと「岩柳」と名乗り、あとで「巌流」と名を改めています。
佐々木小次郎の銅像は場所がちょっと分かりにくいですので、小生の岩国錦帯橋散策マップをご参照願います。
吉川広嘉の銅像
吉川広嘉公銅像は錦帯橋を渡って正面に進み、吉香公園の入口付近にあります。
吉川経家弔魂碑
吉川経家は有名な鳥取城の戦いにて、自分が死んだときの為の「首桶」を持参して、鳥取城の籠城に加わった武将です。
吉川経家は僅か35歳で自刃して果てました。
さて、錦帯橋・岩国城ロープウェイ・岩国城の観光所要時間ですが、私の場合で1時間40分でした。
結構、戦国関連だけでも見どころが多いですので、時間が許せば、永興寺や吉香神社、旧吉川邸厩門や吉川資料館など、もう少し念入りに見たかったです。
その場合には約2時間~2時間30分は必要だと存じます。
周防・岩国城も訪問される場合には、お得な「セット券」がお勧めです。錦帯橋を渡る最初に購入しましょう。
駐車場ですが、岩国ロープウェイ乗り場の近くなどにも、いくつか駐車場がありますが、今回は錦帯橋の南側「河川敷」にある大きな駐車場を利用させて頂きました。
上記のオリジナルマップをご参照願います。
夏場は熱中症対策と日焼け止め忘れずにどうぞ。
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