甲斐・旭山砦 (甲斐・旭山城)
甲斐・御坂の旭山砦(あさひやまとりで) は、山梨県笛吹市御坂町上黒駒にある標高842mの山城。
旭山の烽火台、旭山城とも呼ばれる。
旭山の尾根上の地形を理由し、御坂路(鎌倉街道)の監視として眺望が良いらしい。
文明19年(1487年)に武田信昌の寄進状(広厳院文書)には、広厳院寺家山の四至のうちに「南ハ城山之峰をきり」とあるので、武田信虎より前の時代から重要な監視場だった可能性がある。
昭和51年(1976年)に測量された際に、4ヶ所に城郭遺構が点在することがわかり、単なる烽火台ではなく山城として普請されていた全体像が知られるようになった。
武田滅亡後の天正壬午の乱にて、北条勢が標高1520mの御坂峠(御坂城)を越えて来た黒駒の戦いでも、徳川勢(武田旧臣)が守備していたと考えて良いのかも知れない。
鳥居元忠の活躍を旭山砦から見たかったと言う思いが募る。
今回、遠景のみ撮影。
御坂路の反対側(西側)には「小物成山城」がある。
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なお、残念ながら甲斐・旭山砦は若神子城から国道141号で清里に向かう途中「道の駅・南きよさと」の近くにも旭山砦(朝日山塁)がある。
その山梨県北斗市の旭山砦も武田時代から狼煙台であったが、天正壬午の乱の際、北条氏直が陣城として改修したことで有なので、混同しないようとても注意が必要。
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